Diary

「食べる」ということは?


生きていく上で欠かせないものがエネルギーと栄養素を確保するための「食」食べるということ。その際、味覚を使い「甘味」「塩味」「酸味」「苦味」「うま味」の五味を感じ取り、好みの味を覚えていきます。しかし、食事は「味覚」だけでなく「視覚」「嗅覚」時には「聴覚」も関係します。季節の食材を使い作られた料理を彩り良く盛り付けられた懐石料理やお寿司などは時に芸術作品のようにさえ感じられ、外国人が感嘆の声を上げることがありますが、反対に生きのいい魚の活け造りなどは「残酷」と言われ納豆のように匂いが強い食べ物は「臭い」と言われ敬遠されることも多いものです。また日本では当たり前になっていることが多くあまり意識することはないかもしれませんが、外食をするとほとんどの店で何かしらのBGMが流れています。こんな風に食事には「味覚」「視覚」「嗅覚」「聴覚」が絡み合っているということでしょう。日々の保育の中で給食やおやつを食べる子どもたちも前述の感覚を使っていて「美味しいね」とか「これなんだろう?」とか「いい匂い」などと話し合いながら食事をしています。近年、日本では家族が不在の食卓で、一人で食事をする「孤食」や家族が揃っているのに、全員が自分の好きなものを食べる「個食(バラバラ食)」自分の好きな決まったものしか食べない「固食」パンやピザ、パスタなど粉を使った主食を好んで食べ「粉食」いつも食欲がなく、少しの量しか食べない「小食」加工食品など濃い味付けのものを食べる「濃食」と言った6つの「こ食」が問題になっています。ところが、そこに、にわかには信じられない(信じたくない)ことですが、小学校によっては『黙食』とか『無言給食』と言って給食の時間は話すことなく黙って食べることや、苦手なのものがあっても「完食」が義務付けられているところがあると言うのです。いつもうるさいぐらいの声が響く保育園のランチルームでの食事の様子と会話のない食事風景を思い浮かべるとその違いにゾッとしてしまいます。我が園の子どもたちであればきっと耐えられないでしょう。核家族化が進み大勢で食事をすることがなくなった現代の日本の食卓、賑やかに食べる楽しさや美味しさすら忘れられてしまったのでしょうか?愛する伴侶をなくし否応無しに一人で食事をしなければならない方、何らかの罪を犯しその罪を償うため社会から隔離され生活し誰かと会話しながら食事をしたくてもそれができない方々からすると、会話をしながら美味しく食事ができることがいかに楽しいことで幸せなことか理解できることでしょう。保育園の子どもたちが就学する小学校ではそのようなことはないと思いますが、「黙食」や「無言給食」強制的な「完食」が全国の学校や乳幼児施設からなくなることを祈ります。
2018年12月04日(火) No.2447 (園長日記)

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