Diary

お見通し


毎週月曜日は年齢ごとの礼拝があり、僕は3歳児から5歳児にお話しをしているのですが、今日の聖書の箇所は、ヨハネによる福音書の、わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。と書かれている場面でした。いつものことですが、僕が子どもたちの前に立ちお話をすることが本当にいいのか考えさせられるだけでなく、子どもたちに分かりやすいように話をするということはとても難しく緊張することを感じさせられます。今日も年齢ごとに少しずつ話の内容を変えながら伝えたのですが、子どもたちが先生たちの声を聞き分けることができるように、子どもたちの羊飼いである担任の先生たちも目をつぶっていても誰が話しているかわかっていることを体現してもらうべく、4・5歳児の礼拝の時、担任の先生たちに目をつぶってもらい、数人の子どもに「〇〇先生」と呼びかけてもらい、誰の声なのか当てててもらうことにしました。するとどうでしょう、言うまでもないことですが「M先生」「N先生」と呼びかけられた瞬間に「〇〇ちゃん」「〇〇君」と返事をし誰なのか的中させるのです。これには名前を当てられた子どもたちは勿論のこと、耳を澄ませ聞いていた周りの子どもたちも「すご〜い」とニコニコ大喜び。もちろん、子どもたち同士でも同じように声を聞き分ける(当てる)ことができることと思います。しかし、担任の先生が自分の声を聞き分けられるということが子どもたちにとって特別なことであり最高に幸せなことということが伝わってきたのです。そんな先生たちの凄さを知ってもらった後「ほらね。先生たち凄いでしょう。だから、先生たちは前を向いてピアノを弾きながらでも誰かが騒いでいたり、お話をしていたりすることも分かっちゃうんだよ」と話すと隣に座っている友達同士顔を見合わせニヤニヤする子どもたちがいました。そして何よりも、羊飼いである神様(イエス様)はみんなのことも先生たちのことも知っていて守っていてくれことを伝え、感謝し祈りました。先生たちが子どもたちのことをお見通しのように、神様には私たちのことが全てお見通し。そう思うともっとしっかりとした話をしなければ・・・。
2017年01月23日(月) No.1984 (園長日記)

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