Diary

語り継ぐことの大切さ


一昨日、終戦から70年を迎えました。70年という節目の年ということもあり、連日のようにテレビや新聞で戦争について報道されています。宮城県の地方紙の社会面には戦後70年特集の一つとして「出征兵の遺書」のコーナーが設けられ、戦死した東北の兵士が親や妻、子に宛てた遺書が掲載されています。13日に掲載された遺書にはこんなことが書かれていました。
 宮城県の20歳の特攻隊員は「人生50年、自分は20歳まで長生きしました。残りの30年は父母上に半分ずつ差し上げます」と言い残して沖縄の空に散り、福島県の19歳の特攻隊員は「お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。それが別れのあいさつです」と書き置きし、彼も沖縄で玉砕したそうです。
 こんな文章を読むと、随分前に広島県の江田島にある海上自衛隊の基地で若い特攻隊員が書き残した遺書を見て、その達筆さに驚くだけでなく、それ以上にしっかりとした文章内容に胸を打たれたことたことを思い出します。国のため家族のために身を賭した若者たちはどんな思いでメッセージを残し、どんな思いで滑走路を飛び立ち、どんな思いで操縦かんを握り、どんな思いで敵艦に向かっていったのでしょう。そして、江田島で遺書を見た年、今は亡き、井上ひさし氏の講演を聞きましたが、彼がまだ少年時代、生まれ故郷である山形の片田舎でピカピカに光るB29爆撃機を見て「きれいだなー」と思い手を振ったところ、フラップをパタパタさせてくれて飛んで行ったということを語っていました。その飛行機がその後、各地を空襲し、広島・長崎に原爆を落とすことなど彼は考えもしていなかったでしょう。ましてや、飛行機を見て手を振っていた自分が原爆を落とされた広島を題材に本を書くことなども・・・。歴史に「もし」はあり得ないと言いますが、もし某国の大使館にいたことのある祖父(46歳没)が生きていたら、当時のドイツやポーランドやロシアの様子を聞い見たかった!そう思うこのごろです。
 ちなみに、戦争を知らない最近の若者にB29と言うと「えっ!そんな濃い鉛筆あるの?」という返事が返ってくることがあると聞き驚くばかりですが、鉛筆を使うことも少なくなってきているであろう若者が鉛筆に硬度があることを知っているだけでも褒めてあげなければならない時代なのかも知れません(ー ー;)
2015年08月17日(月) No.1619 (保育日記)

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