Diary

難しい


毎週月曜日に守られている年齢ごとの礼拝ですが、お兄ちゃんお姉ちゃんに合わせ、少し早めに夏休みに入った子どもたちも多いため、今日は全園児がホールに集まり、合同で礼拝を守りました。礼拝の話の内容は先週から四週間にわたり“平和”がテーマになっています。しかし、一口に“平和”と言っても「これが平和である」と断言することはとても難しい上に、聞く側の子どもたちの年齢がバラバラだと難しさが一層増してしまいます。
 そこで、今日は聖書の他に、広島で原爆を経験した子どもたち(当時就学前だった子どもや小学生)の手記を綴った「わたしおがちいさかったときに」という本の中から、子どもたちでもわかるような詩を読んであげました。
「とまとが食べたい」という娘のためにお母さんが買い出しに出かけている間に娘が亡くなり、母親が「いもばっかしたべさせてころしちゃったね」と言って泣き、友だちもともに涙するシーンなどは、想像しただけで悲しくなり、保育園の畑で赤々と実ったとまとを無駄にすることのないようにしなければと思わされます。
“平和”を辞書で調べると、一般的には「戦争がなく、世の中が穏やかなこと」と書かれています。しかし、戦争がないことだけが本当に平和なのでしょうか?戦争がなくても心の穏やかさを失い、イライラしていたとしても平和と言えるのでしょうか?そんな意味からも、まずは、一人ひとりが心の平穏さを保てるようにすることが平和に結びつくのではないでしょうか。以下の祈りは子どもたちに聞かせてあげた、宗派を超えた平和を求める祈りです。みんながこんな気持ちになり祈れたら素敵ですね・・・。

 平和を求める祈り(アッシジの聖フランチェスコ)

主よ わたしをあなたの平和の道具としてお使い下さい
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光りを
悲しみのあるところによろこびをもたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
わたしが求めますように
わたしたちは与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから
2015年08月10日(月) No.1616 (園長日記)

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