Diary

たった一年で


東日本大震災からまもなく4年5ヶ月、宮城県内の多くの沿岸部では復興工事が進み昨年から比べても更に当時の津波の爪痕が感じられ(見られ)なくなりました。その一方で、震災前の風景は全く無くなり別な街へと変わってしまっています。気仙沼の港は多くの漁船が魚を水揚げし賑わいが感じられるようになり、宿泊したホテルでは新鮮な地元の魚介類が御膳を彩り、たくさんのダンプカーが走る南三陸町では至る所でピラミッドを思わせるような土盛りがされていて、ポツンと残った防災対策庁舎の周りも建物と同じくらいの高さに土が盛られ、昨年までは感じることができた建物の高さを感じることができなくなっていました。また、当時は山のように積み上げられていたひしゃげた車も全く見られず、飴細工のように曲がった気仙沼線の線路もなくなり、かろうじて残る橋桁やトンネル、ホームが残る駅舎から電車が走っていたことを窺い知ることができるだけになっていて、その近くには新たな道路の建築が進んでいました。これからもこんな風にどんどんと復興が進むとともに山や畑が失われ景色も雰囲気も変わっていくことでしょう。しかし、自分たちが生まれ育ったふるさとの風景の変化に寂しさを覚える方々がいたり、いつも遊んでいた公園に建てられた仮設住宅のために遊ぶ場所がないまま育っている子どもたちを思うと、自分たちの置かれた環境がなんと幸せなのか改めて考えさせられました。
2015年08月07日(金) No.1614 (園長日記)

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