Diary

キャッチボール


朝いつものように電車を降り、高架橋を渡り、保育園に向って歩いて行くこと数百メートル。地元スーパーの向かいの家の前でお父さんと小学生と思われる男の子が朝から野球の練習!?をしているではありませんか。これまでも何度となく、男の子が一人でボールを高く投げ落ちてくるボールをキャッチしたり、壁にボールを投げて戻ってくるボールをキャッチしたりする姿を見ることはあったのですが、今日はお父さんもグラブをして男の子が投げるゴロをキャッチし、そのボールを息子に投げ返すなど、朝から何だか楽しげな雰囲気。男の子を持つお父さんとしては、息子とキャッチボールやサッカーをすることは憧れであり至福の時であり、出勤前のお父さんにとっても登校前の男の子にとってもこのひとときは精神安定剤のような効果をもたらすのでしょう。また、そんな姿を見ることができた僕も朝から素晴らしい栄養剤をもらえたような気持ちになりました。
 ところで、ボールを使わないのにキャッチボールと言われるものに「言葉のキャッチボール」や「心のキャッチボール」があります。いずれのキャッチボールもお互いの気持ちが通じあっていなければ、使う言葉が同じでも通じ合うことはできません。そのために、相手が捕りやすいように言葉を投げ、相手から放られたものを確実に受け止めることが求められます。心や言葉は相手を思って交わさなければならないものだということでしょう。そのためには 自分だけが満足する言葉を語ったり、相手が受けることができないような言葉を使っても会話にはならなりません。一方で使う言葉が違う者同士なのに気持ちや思いが通じれば、実際に言葉を交わすことなくともキャッチボールができるから不思議です。
 ここ数日、いくつかのクラスの子どもたちが入院手術を終え自宅療養をしているM先生の自宅までお見舞いを兼ねメッセージカード等を届けに行ってくれました。残念ながら実際にM先生にお会いすることができなかったものの「えんちょうせんせい、Mせんせいのおうちまでいってきたよ」と子どもたちは満足げに教えてくれました。M先生の回復を願う子どもたち思いや祈り(心のキャッチボール)はM先生にお会いすることができなかったとしても間違いなくM先生に届いたことと思います。そして、術後の回復に良き影響となると信じています。今後もM先生の回復を子どもたちと共に祈るとともに、今度は僕も子どもたちと一緒にM先生をお見舞いに行きたい思います。
2013年06月25日(火) No.1046 (園長日記)

No. PASS