Diary

へいわってすてきだね


昨日6/23日、沖縄で行われた「慰霊の日」の追悼式で、ひらがなを覚えたばかりだという久部良小学校一年の安里有生君が「へいわってすていきだね」という詩を朗読したことをニュースや新聞でご覧になった方も多いのではないでしょうか!?。この詩を朗読する姿がテレビ画面に映し出された時、感動を覚え身動きできなくなりました。日本で唯一地上戦が行われた沖縄ということもあるのでしょうが、この土地で過ごしている子どもたちにしっかりと平和教育がなされていることを再認識させられ、世界で初めて原子爆弾が落とされた広島に行った時にも子どもたちに戦争の愚かしさや恐ろしさや悲惨さが語り継がれていることを実感させられたことも思い出しました。日本の面積の5%にしかならない沖縄に日本にある米軍基地の70%以上が集中しているというのですから改めて考えなければならないことが多くあるように思います。
 さて、日曜日、教会からの帰る電車の中での出来事です。大河原に到着した時点で結構な混雑だったのですが、4人掛けのボックスシートに向い合わせで座っている2人の若い女性は旅行用カバンや荷物を座席に置いてシートを占有したまま、周りの目を気にする様子もなく化粧を直したり日焼け止めを塗ったりしながら話しをしているのです。次々到着する駅からも乗客が乗ってきて、空いているシートがなくなり、おのずとこの若い女性たちのボックスシートの所へ多くの視線が投げかけられることになるのですが、そんな視線と乗客のコソコソ話に何となく気付いている様子なのに全くお構いなし。そんな様子にそのシートの周りはとても嫌な雰囲気に…。いくら化粧をしたり日焼け止めを塗ってきれいになったとしても彼女たちはひらがなを覚えたばかりの有生君のような素敵な詩は書くことができないのではないかと思います。 2年3ヶ月前、東日本大震災が起きた時、当たり前のことが本当は当たり前ではないことに気付き、見ず知らずの人たちが助け合ったのに、時間が経ち、何不自由なく過ごせるようになると人の痛みや辛さを忘れてしまうのでしょうか。今日はキリスト教保育連盟本部の総会があり東京に出張でしたが、総会前に行われた礼拝を担当して下さった牧師先生が「神様は自分に似せて人を創り、その人には人を思いやる気持ちが与えられている」ということ、そして、優先席なんてなくても自然に席を譲り合う世の中になって欲しいと語ってくださいました。「へいわってすていきだね」の詩、電車での出来事、総会での礼拝を通し、沖縄や広島・長崎の方々が幼い子どもたちに平和の大切さを語り継いでいるように、東日本大震災を経験した我々もあの日のことを風化させることのない様に子どもたちに伝えていかなければならないことやなさねばならないことがあることを再認識させられました。

『へいわってすてきだね』 久部良小学校 一年 安里 有生

へいわってなにかな。
ぼくは、かんがえたよ。
おともだちとなかよし。
かぞくが、げんき。
えがおであそぶ。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい。
やぎがのんびりあるいてる。
けんかしてもすぐなかなおり。
ちょうめいそうがたくさんはえ、
よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。
みなとには、フェリーがとまっていて、
うみには、かめやかじきがおよいでる。
やさしいこころがにじになる。
へいわっていいね。へいわってうれしいね。
みんなのこころから、
へいわがうまれるんだね。
せんそうは、おそろしい
「ドドーン、ドカーン。」
ばくだんがおちてくるこわいおと。
おなかがすいて、くるしむこども。
かぞくがしんでしまってなくひとたち。
ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。
このへいわが、ずっとつづいてほしい。
みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。
へいわなかぞく、
へいわながっこう、
へいわなよなぐにじま、
へいわなおきなわ、
へいわなせかい、
へいわってすてきだね。
これからも、ずっとへいわがつづくように
ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。
2013年06月24日(月) No.1045 (園長日記)

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