Diary

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今日の地方紙の朝刊・夕刊それぞれに、1978年に発生した宮城県沖地震から35年経ったことが大きく取り上げられ、夕刊には県と仙台市が、東日本大震災の再来を想定した総合防災訓練を行ったことが書かれていました。また、宮城県沖地震の体験人口は年々減少し、4月1日現在、仙台市内で地震後に生まれた35歳未満の人口は約39万人。全体の4割に達し、教訓の風化が懸念される。というのです。改めて考えてみると、保育園の職員の殆どが、あの宮城県沖地震を経験していない、或いは記憶にないということになります。僕は映像と音を鮮やかに記憶しているのですが…。
 一方、多くの方々の記憶に新しい東日本大震災。ところが、そんな記憶に新しいはずの東日本大震災も2年以上が経ち何不自由なく生活できるようになると様々なことを忘れてしまいがちです。反対にあの日、津波ですべての物を失い、未だに仮設住宅で生活していたり、家族が行方不明の方にとっては忘れたくても忘れることのできない記憶として残っている方々も大勢います。特に原発事故による放射能被害に遭い、住み慣れた土地・建物があるにも関わらず帰宅するどころか、自分の土地にすら入れない。そのような今現在も被害が進行形の方々は35年後も忌まわしい現実や記憶は風化するどころではないことでしょう。そんな東日本大震災の記憶が、あの宮城県沖地震の経験が“人間万事塞翁が馬”(適切な言葉ではないかも知れませんが)となるように願うばかりです。
 ところで、今年度に入りこれまで数回しか更新されていなかった保育日記が何故だか急に更新されるようになりました。T先生になにが起きたのか、きっとそれは数日前、久しぶりにC先生が保育日記を書いたことでT先生の何かが刺激されたのかと思いますが、この保育日記は主任たちだけが書くものではないので、主任以外の先生たちの考えやクラスのエピソードなどが綴られるようになって欲しいと思っています。そうなれば、園長日記は…。
2013年06月12日(水) No.1034 (園長日記)

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