Diary

子どもたち本来の嬉しい姿


20年以上前から子どもたちから“さんま”がなくなったと言われますが、“さんま”といっても魚ではなく、「時間」「空間」「仲間」の三つの「間」のことです。僕の子ども時代は今とは比較にならないほど、子どもたちが自由に遊べる空間(空き地や道路など)があり、そんなところで仲間と時間を忘れ夢中になって遊んだものです。一方、現代はきれいに整備された公園はあってもそこには様々な制約があり、子どもたちが自由に遊べるような空間ではなくなりました。しかも少子化の影響で兄弟姉妹がその仲間と群れて遊ぶことはほぼ皆無となり、また、習い事が増え遊ぶ時間が減ってしまいました。そのため、異年齢の子どもたちで遊びを教え教えられということもなくなりました。
 本来、子どもたちは自分たちで様々な遊びを考え出したり、楽しく遊ぶためのルールを決めたりする能力に長けています。しかし、上記のようなことから、その能力を発揮することが段々減ってきていることは明らかです。理想をいえば、自分より年齢の大きなお兄ちゃんお姉ちゃんが憧れの存在であり、そのお兄ちゃんお姉ちゃんを年少者が真似をしていろいろなことを覚えていくことです。嬉しいことに保育園では強制されることなく、そんな異年齢交流が日々自由に行われています。先週5歳児M組の子どもたちは「かき氷屋」を始めるのに、他のクラスの子どもたちにお客さんになってもらいたくて手紙を書くということをしていました。それにより手紙をもらったクラスの子どもたちがお客さんになることが出来ました。結果としてこんな風にお互いに刺激し合うこととなり、楽しく遊ぶための相乗効果があったと思います。今後もこんな風に子どもたち同士が自然に交流し、失われつつある古き良き時代の姿を復権したいものです。
2013年01月21日(月) No.915 (園長日記)

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