Diary

残念無念


突然ですが、「動的平衡」という言葉を聞いたことはありますか?青山学院大学の福岡伸一教授は、その著「動的平衡2」で動的平衡の定義を「それを構成する要素は、絶え間なく消長、交換、変化しているにもかかわらず、全体として一定のバランス、つまり恒常性が保たれる系」であり、いかなる生命も行き着く先は死であるが、分解と合成を繰り返し、自分の身体の傷んだ部分を壊しては作り直すことで、生命は一直線に死に向かうことに抵抗している、身体というものは、ある決まった常態をとどめていることは一瞬たりともないと語っています。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、人間の身体は60兆個の細胞で出来ていて、一日1兆個の細胞が入れ替わっています。中には30日かかって入れ替わる細胞もありますが、一年間で全てが入れ替わるのだそうです。要するに、一日前、あるいは一年前の自分と現在の自分は同じようでも、細胞レベルで考えると別人ということになるのです。何とも不思議ですが、それが事実なのだというのです。そして、動的平衡のバランスを崩すと体調を崩すことになり、病気をしたり死に至ってしまうということになるのでしょう。
 ところで、人間生きている間、自分の持っている能力の何%を使っているのでしょうか?また、パソコンや携帯電話の機能の何%を利用しているでしょうか?改めてそんなことを考えた時、まだまだ使っていない力がたくさんあるように思えます。それは自分の努力不足の部分が殆どであり、苦手なものに背を向け、見て見ぬふりをしていることも多いのが事実です。
 さて、今年はなぜか身内に不幸が続いています(この一週間だけで二人が鬼籍に入りました)。そんな時、「もっと○○しておけばよかった」とか「あのとき○○だった」という無念さばかり考えてしまいます。先週、人気歌舞伎役者、中村勘三郎氏が亡くなりましたが、一度でいいから勘三郎氏の演技を観てみたかった。しかし、それも叶わぬ夢になってしまいました…。いつか必ず訪れる自分の動的平衡の崩壊の前に後悔することが少ないよう、与えてもらった能力(微々たるものですが)をしっかり使わなければ…。

2012年12月10日(月) No.882 (園長日記)

No. PASS