Diary

無駄


これまでずっと気になりながら出来ずにいたバスのナンバー変更登録。今日こそ「奈良」ナンバーに「さようなら(奈良)」をしなければと思い、事前に宮城県陸運事務所に電話を掛け必要書類の確認等をし、仕事の合間を縫って出掛けました。陸運事務所は予想に反し空いていて直ぐに「38番の番号の方は2番窓口までどうぞ」と呼ばれました。電話で確認しているので書類は準備万端、あっと言う間にことは片づくと思っていたのですが、書類の確認を進めて下さっていた担当者の手と目の動きが俄に止まり、突然、僕の目を見るなり、鉛筆で書類の一部にアンダーラインを引きながら、「恐れ入ります、ここをご覧頂けるとお分かりになるかと思いますが、この書類は有効期限が1ヶ月なので…」。そうです、随分前から準備をしておいた書類数種類の中で一枚だけが有効期限を失効していたのです(ノ_-;)。と言うことは勿論、今日は書類が受理されることなく奈良ナンバーのまま保育園に戻るはめになってしまいました(><ゞ)。このような時間と燃料を無駄にしてしまった失態に「いったい何をしているのだろう」と自己嫌悪に陥りガッカリ(x_x;)でした。書類の期限の関係で、次に行くときには同じ失敗は繰り返せません。しっかりとしなければ。
 ところで、話は変わりますが、日本をはじめ、世界各国悲しい出来事があった後には、鎮魂歌(レクイエム)が作られ、人々の心を慰め、癒しています。原爆が投下された広島では「青い空は」が、長崎では「あの子」などの曲が作られ歌い継がれ、阪神淡路大震災後、神戸では「しあわせ運べるように」という素晴らしい曲が作られ(ほんの最近知ったことですが)歌われています。そして、東日本大震災後、「しあわせ運べるように」の歌詞が東北バージョンにされて歌われていたことに気づいた時には言葉を失うほど感激しました。昨年度の卒園式の時に職員で子ども達に贈ってあげた「あすという日が」とか、宮城学院女子大学音楽科生・作曲の合唱曲「君の歌」にも胸が打たれますが、もし、ジョン・レノンやマイケル・ジャクソンが生きていたら震災の鎮魂歌として素晴らしい曲を作ったこととでしょう。しかし、僕にはそんな能力も誰かの前で歌うような度胸も歌唱力もありません。寒さが増す中、被災者の中には仮設住宅や住み慣れないところでの生活を強いられている方々が大勢います。そんな方々の為に僕に出来ること、それは、せいぜい、先行き不透明な生活に少しでも明るい光が差すように祈り、願うことなのでしょう。
2012年11月08日(木) No.851 (園長日記)

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