Diary

たき火


今では仙台の中心部と言われるような県庁・市役所付近でも、昔は童謡「たきび」の歌詞のように、落ち葉を掻き集め、たき火をするようなことは当たり前の光景だったものです。しかし、現代では様々な理由からたき火は勿論、病害虫を根絶させるための田んぼの野焼きすら禁止される時代になってしまいました。ところが、たき火の炎を見てると、人間のDNAに埋め込まれてる?古代からの古い記憶を呼び起こされるような不思議な気持ちになります。
 スウェーデン等、北欧の保育園や幼稚園では火を使った活動「グリリング」が日常の保育の中にくり込まれ、幼い時から「火」「ナイフ」等を含め「危険」に対する教育が特別なことでなくなされています。一方、現代の日本の保育(教育)現場に於いては、たき火の制限が原因の他にも、「火」イコール「危険」なもの、として捉え、子ども達を「火」から遠ざけてしまっている部分があるような気がします。考えてみれば、昔は日本でも子ども達が薪で風呂を焚いたり、近所の子ども達で焼き芋をして食べたりしたものです。また、それが子どもの仕事であり、その経験こそが、どうすれば火が良く燃えるか、どうすれば火傷をしないか等、様々な知識を身につける結果となったのだと思います。ある園では芋掘りをして焼き芋をするとしても、子ども達が火傷等をしないように午睡中に職員が芋を焼き、子ども達は出来上がった焼き芋を食べるだけ、という保育があることに驚くと共に、焼き芋をする上で一番大切な部分を子ども達と経験しない・させないことに疑問を感じずにはいられませんでした。「危険」とは危ないことから子どもを遠ざけることではなく、子ども自身が「危険」とはどのようなことなのか感じ取り、危険を知ること、自己判断をすること。その結果として、危険を回避して自分の身を守ることにつながることにほかならないはずです。
 日に日に寒さが増しランチルームの暖炉に火が入るようになり、子ども達は園の目の前の崖に杉っ葉拾いに出掛けてくれています。そんな子ども達と広い園庭でたき火をし、煙の匂いや煙たさ、火の暖かさや怖さを経験しながら美味しい焼き芋を食べたいと願う毎日です。とは言っても突発的な仕事が入り、たき火の時間などなかなか取れないのが現実ですがw( ▼o▼ )w
2012年11月07日(水) No.849 (園長日記)

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