Diary
習慣
習慣とは恐ろしいもので仕事が休みの日なのに、いつも起きている時間に目が覚めてしまったり、休刊日なのに、ポストに新聞を取りに行ってしまったり、自分では気づかないけれど、他人が見ると癖(習慣)になっていることがあるのではないでしょうか?今日は、4・5歳児が子ども祝福礼拝のために、約30分かけて保育園から教会まで歩きました。教会(礼拝)では牧師先生の話をしっかり聞き、大きな手で祝福してもらい、礼拝後には短い時間でしたが旧園舎の園庭で遊んだのですが、数年間この園庭・園舎で過ごし、その環境に慣れ親しんでいた子ども達は特に、固定遊具で遊んだり、卒園記念で作って頂いた家に登ったり、高く長〜い滑り台を滑り降りたりできるとあって大喜びヽ(^◇^*)/ !そんな姿から数ヶ月振りに訪れても慣れ親しんだ所で習慣付いたことは直ぐにでてくるのが伝わってきました。勿論それは、遊びに限らず、良いこともそうでないこともでしょう。ですから子ども達に関わる我々の責任の重要さを再認識しなければならないと思います。何れにしろ、こんな風に嬉しそうに遊ぶ子ども達の姿を見ると、時々旧園舎の園庭で遊ぶのも子ども達にとっては刺激になり結構楽しいのかも知れないと思わされました。
さて、習慣と似た言葉、ほぼ同じ意味である「慣習」ということで不思議に思うことがあります。それは、今日のように秋晴れであれば蔵王に降った雪が保育園からもよ〜く見えますが、曇っている時にはその蔵王の山頂を拝むことはできません。しかし、そんな天気が悪そうな時にこそ、山の上では雪が降っていたりするものです。ところが、初冠雪は実際に雪が降ったか否かで判断するのではなく、仙台市内の気象台から目視して判断するというのですから不思議でなりません。そんなことを考えると、「初冠雪が例年より遅い」とか、「平年並みという報道はいささか当てにならない」と言えるような気がします。
ところで、震災の時、日常生活で当たり前だと思っていることがそうでなかったことに気づかされた方が多かったと思いますが、時間が過ぎるとそれすらも忘れてしまうものです。今日の祝福礼拝の中で、牧師先生から「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」 (テサロニケの 信徒への手紙I 5章16〜18節)ということの大切さを聞きましたが、本来であれば習慣でなければならない上記の聖書の教えが、人間にとって非常に難しいことであることを改めて思わされました。 この教えを、良い習慣にしなければm(-_-)m
2012年11月05日(月)
No.847
(園長日記)
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