Diary

鬼は外!?


普段の子どもたちの姿を見てもらいたいという担任たちの思いから今日行われた1歳児そら組・うみ組の保育参観はランチルーム側の窓も園庭側のサッシにも目張りが施され窺い知ることができません。保護者の皆さんにはその隙間から子どもたちの朝の集まりと礼拝の様子をこっそり覗き見てもらうという配慮がなされましたが、第一光の子保育園では日本の多くの保育施設で見られがちな壁面装飾はできる限り控えている(必要最小限にしている)こともあり、普段と違う窓一面を覆う装飾になんとも言えない感情を抱いてしまいました。一方で、我が子の様子を見るために気付かれないように腰をかがめ目張りの隙間からそ〜っと(必死に)保育室を覗く保護者の皆さんの姿が何とも面白かったです。その光景は今日の節分にぴったりな「鬼は外」いやいや「親は外」そんなことを考えてしまい、一人ニヤニヤするのでした。その後、保護者の方々と一緒に一遊びし製作した鬼の被り物を被り、記念撮影をして降園となりました。
 さて、言うまでもなく今日は節分ですが、節分とは季節の節目である「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のことで文字通り「季節の分かれ目」「季節の変わり目」のことを指しますが、立春の前日の節分だけが残り、「節分=2月の伝統行事」として浸透したのだそうです。そして、保育施設や家庭など日本全国あちこちで豆まきが行われます。今はあってはなりませんが、昔は子どもたちが鬼の登場を怖がり泣き叫ぶ姿を保育者が喜ぶなんてこともあったようですが、僕にとって㋁3日は節分以上に特別な日です。なぜかと言えば、幼稚園教諭時代、担任させていただいた「よし君」の命日として忘れることができない日だからです。年中から小学校一年生になっても、急性骨髄性白血病という病と闘い続け、幼稚園の卒園式にたった一日だけ外出許可をもらい、ぶっつけ本番で証書をもらいました。卒園後、私立の小学校に入学したものの登校することはできず、クラスメイトの顔すら見ることもなく院内学級で過ごしながら回復を願いながら闘病を続けたものの「僕もう頑張らなくてもいいよね」とお母さんに告げてから数日後、大好きな新幹線に乗って出かけることも桜を見に行くという約束や願いがかなわず天国へと旅立ちました。担任の僕ができることは彼の回復を願いながら定期的に(週に最低一回、卒園後も時々)病室を訪ね、病院にいてもクラスの子どもたちと同じ経験をしてもらえるように準備し、クラスの仲間の様子を伝え、よし君の話を聞き、お母さまには連絡帳を届け続け、クラスの皆にもよし君の様子を伝え続けました。そして、いまなお、㋁3日にはお母さまに連絡することでつながっています。元気だったらとうに20歳を過ぎ、社会人として活躍していたと思いますが、僕の中では小学校一年生のまま。そんな彼の命を奪った病と闘うために姉のTちゃんは医師を志し、東京の病院で女医として働いています。㋁3日の今日、園舎北側の日陰では綺麗な氷作りがされていましたが、よし君宅では病という鬼と闘った彼の思い出話がなされていることでしょう。

以下に、よし君のお母さんが新聞に投稿した文章を紹介させていただきます。

桜の木を見上げて
 浪人していた長女が大学生となり、この春、仙台を離れた。引っ越しに入学式と慌ただしい時期が過ぎ、一段落すると改めてさまざまな思いがよみがえってきた。子どものころから泣き虫で、何事も決断が遅かった。妹に買い物の付き添いを断られ、長風呂を兄にせかされただけでべそをかいた。やれやれと思っていたが、今回は意志を貫いた。当初目指していた天文学の道ではなく医療の道に進むと言う。天体望遠鏡を顕微鏡にかえ、病という宇宙に取り組むことになるのだが。一時は遠ざけていた方向へ、時間をかけてまで再び向かわせた理由はなんだろうと思う時、やはり目に浮かぶのは次男の笑顔だ。5年前、家族の愛情の中心にいた次男は2年半もの間、病と闘いながら8歳の誕生日を目前に一人で天国へと旅立った。年の離れた弟を誰よりも可愛がっていた長女は、病室を訪れるたび、「必ず治るよ」と励まし、退院したらお花見に行こうね、と約束していた。すべての願いはかなわなかった。今、娘は弟の写真を傍らに新生活を始めた。いつの日か幼い弟を奪い去った病に挑む時が来るだろうか。お花見をするはずだった桜の木を見上げて、そっと伝えよう。よし君、お姉ちゃん頑張ったよ。君のように。
2023年02月03日(金) No.3477 (園長日記)

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