Diary

存在意義


ようやく朝夕涼しくなり秋を感じられるようになって来たとはいえ、子どもたちが降園後、締め切られた園舎内は空気が流れないため虫たちにとっては過酷な環境になるのでしょう。出勤すると必ず玄関ホールにアブや蛾や蝶など様々な虫たちが落ちています。そんな虫が登園して来た子どもたちや保護者の皆さんがつぶしてしまうことがないように拾い集めゴミ箱へ捨てるのですが、アブや蛾の中には眠っていたかのように動き出すことがあり驚かされることがよくあるのです。今日も3歳児ひつじ組の前にひっくり返っていた蛾が生きていたので潰してしまおうと思ったのですが、その時、人間(特に大人)に気持ち悪いとか必要ないと思われている蛾やゴキブリなどを象徴とする虫たちの存在意義を考え手を止めました。動物界の弱肉強食同様、虫たちの世界にも食う食われるといった関係性があり、園庭の木製遊具や丸太で成長するキノコたちは菌によって木を土に返す役割を担っている様に、一見、何のため(なぜ)存在している・生きているのだろう?と考えさせられるものにも存在意義があるということになります。それなのに人間(大人)は自分たちの価値観や感情や物差しで存在意義を推し測ってしまいがちです。一方、偏見を持っていない子どもたちは特に初めて出会う事物に対して何の抵抗もなく舐めたり触ったりする(関わる)ため、保育現場ではドキッとさせられることもあるのも確かです。梅雨の頃から鳴き始めた蝉たちから遅れること数ヶ月後に産まれたミンミンゼミたちが日中必死に鳴いているように感じますが、夕方になった途端、秋の虫たちの鳴き声に包まれます。そんな虫たち、愛を語るだけでなく、人間の身勝手さや存在意義を語っていないことを願うものです。
2021年08月31日(火) No.3125 (園長日記)

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