Diary

次はどうしようかな・・・?


1981年4月に初版されて日本で累計発行部数は800万部を突破し、戦後最大のベストセラーと言われている黒柳徹子氏著「窓際のトットちゃん」。東京・自由が丘にあった「ともえ学園」という小学校での出来事が描かれたこの本は僕の保育観に大きな影響を与えた一冊であり、40年も前に書かれたにも関わらず今でも僕の保育のバイブルです。この本の中でB 29から投下された焼夷弾によって焼けていく校舎を見ながら校長先生(小林宗作氏)が息子の巴さんに「おい、今度は、どんな学校、作ろうか?」と語る場面が書かれています。そんな校長先生の言葉には及ぶことも比較することもできる筈もありませんが、今週一週間かけて園庭の改修作業を行い、更に子どもたちも先生たちも大喜びするほど素敵な園庭が完成を見ましたが、僕は「次はどうしようかな・・・?」と次のことを考えています。作業最終日の今日は一番の難関である、旧園舎時代に卒園記念として作って頂いた二階建ての家を園庭中央へ移築することでした。旧園舎から運んで来た際、地面に直置きしたことで角材が腐食してしまったこともあり、2階部分だけ残し利用することにしました。ところが、作業を始めることから「オズの魔法使い」のようになるのでは?と思ってしまうような強風が吹く中、土台にする太い丸太をユンボ(パワーショベル)で運び、穴を掘りという一連の作業を繰り返し、処分寸前の家がこれまでに増して存在感を示し蘇りました!本当は午前中に完成をとの思いで作業をしたのですが、自然木を使った作業は思い通りには行かず、子どもたちに見せてあげたかった家の空中散歩はお昼寝の真っ最中でした。だからこそ、お昼寝後、園庭の変化に驚き、おやつを食べ終えて外に出てきた子どもたちは大喜びしながら遊んでくれたのでしょう。そして、先生たちもが子どもに帰ったかのような笑顔になっていたことを作業をしてくださったYさん(けんちゃん)・Wさん(じゅんちゃん)と共に喜び合いました!ところが、作業を終えお帰りになったYさん(けんちゃん)が「念のためにロープを巻こうと思っていたのに忘れたのを思い出して・・・」と言いながら小学生の娘さんYちゃん(卒園児)と一緒に来てくれました。これにいち早く反応したのがけんちゃんにメロメロになっていた4歳児あい組の女の子たち。この女の子(女の人)は誰?なぜ大好きなけんちゃんと一緒にいるの?そんな表情で「ねえ、この人だあれ?」と質問を繰り返します。最初「娘」の意味がいまいちわからなかった子どもたちも、その意味を理解した途端、「まさか、憧れのけんちゃんに娘さんがいたとは・・・・。」そんな表情をしていました。それでも最後はYちゃんに「また来てね!」「タッチ!」と言って見送ってくれました。前述の通り「次はどうしようかな・・・?」が決まった時(何となく構想はできているのですが)にまたいらしてもらいます。何はともあれ、事故や怪我なく作業を終えることができたこと、そして素晴らしい環境を作るため仕事を請け負ってくださった、力添えくださったYさん・Wさん、花見櫓作りの時に続きユンボを貸してくださったMさんにも感謝いたします。ありがとうございました。
2021年05月28日(金) No.3063 (園長日記)

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