Diary

prayer


昨年度の卒園式もコロナウイルス 感染症の感染拡大予防のため参加者を各ご家庭2人までに制限させてもらいましたが、残念ながら今年の卒園式も昨年同様、各ご家庭2人に制限せざるを得ませんでした。そのため、これまで毎日のように送迎をし、お孫さんの成長を祈りながら過ごしてくださっていたおじいちゃん・おばあちゃんたちは参加したくても参加できません。そのことがどうしても残念であり、悔しくもあり、申し訳なくもあり、ずっと心に引っ掛かったままでした。それを解消するために「暖かかったら外で卒園式をしたら・・・」なんてことも考えたのですが、既に練習が始まっている時期だったこと、そして現実的でないこともあり実現することはありませんでした。しかし、入場から一部礼拝・二部の証書授与式までの通しで行う今日の最後のリハーサルであれば密になることなくおじいちゃん・おばあちゃんに子どもたち(お孫さん)」の成長をご覧いただくことを思いつき、担任の先生と話し合い玄関ホールにお知らせを貼り出してもらいました。すると、急なことだったこともでしたがめぐみ組のE君・S君のおばあちゃんとおばあちゃん、Sちゃんのおばあちゃん、Rちゃんのひいおじいちゃん、のぞみ組のR君のおばあちゃん、Mちゃんのおばあちゃんが来てくださいました。中でもE君・S君のひいおばあちゃんは「今年は全然行事に参加出来なかったので嬉しくて昨日眠れませんでした」と仰るぐらい嬉しかったそうで、練習をご覧になり子どもたちの成長をんでくださいました。このように喜んでくださるのであればもっと早く皆さんにお知らせすれば良かったと思ったのですが、コロナ禍にあってできることを見つけたような気がします。子どもたちにも、お客さんに見守られての練習は本番のような緊張感があり良かったと思いました。夕方、卒園記念品として保育園からプレゼントする味噌が届き、コサージュも完成し準備万端!あとは僕がしっかり準備するだけのようです。
 さて、東日本大地震が発生した午後2時46分、今年も役場から1分間サイレンが鳴り響きました。今年は10年という節目でしたが、そのサイレンに合わせて黙祷と祈りを献げるため、各クラスいつもより早めに給食を食べ、いつもより早くお昼寝を終え避難訓練を兼ねてバルコニーや園庭に集まりました。いつもの避難訓練以上に静かに集まる様子からあの震災を経験していなくとも、先生たちの話や様子から子どもたちなりに何かを感じ取ってくれていたことがわかりました。思えば10年前、これまで経験したことのない3分も続く揺れに何もできず、園庭に避難した後も何度も続く余震、気温が下がり降り出した雪と寒さの中、子どもたちを励ましながらお迎えを待ったこと、子どもたち全員を家族の元へお渡ししたものの帰宅することが出来なかったため、ごった返した大河原駅前の避難所となったビルへ行き、冷え切ったコンクリートの上に1cmにも満たない段ボールを敷き、寒さに震えながら一晩過ごしたこと、船岡にある大学に入学し、引越し準備にきたという北海道出身の女子大学生が見ず知らずの土地、知り合いがいない中で経験した地震、実家に帰るにもどうしたらいいかわからないとのことだったので、「山形経由であれば飛行機がありそうだけど、山形まで行けるかどうかが・・・」なんて話した彼女がどうしているかなど、あの日のことを思い出しました。今、自分が生きている、生かされていることに感謝しなければならないこと再認識させられました。
2021年03月11日(木) No.3010 (園長日記)

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