Diary

一番の先輩は後輩


今日は4・5歳児の「クリスマス親子礼拝」当日をイメージして、奏楽や司会担当の先生たちにも入ってもらい(クラスには代わりの先生に入ってもらい)めぐみ組・はと組ペア、のぞみ組・あい組ペアが、入場・礼拝・ページェントの流れでリハーサルを行いました。本番さながらの雰囲気に子どもたちも担任の先生たちも緊張感を持って臨んでいたような気がします。静かに礼拝を守った後、ページェントとなりましたが、同じクリスマスのお話しなのに、台本(台詞)や歌う讃美歌、そして何よりも演ずる子どもたちが違うこともあり、今年も雰囲気が違う2つのページェントが出来上がりそうです。
 さて、毎年子どもたちと先生たちが話し合い作り上げるページェントですが、必ず何かしらの気づきを与えてもらいます。今日ものぞみ組の宿屋役の子どもたちが、ヨセフとマリアが泊まる宿を探す場面で「困った、困ったどうしよう?」と歌う時、宿屋役の子どもたちもヨセフとマリアと同じように「困った、困ったどうしよう?」と歌うのです。もちろん、ヨセフとマリアは泊まる所がなくてどうしようか困って途方に暮れたことでしょう。しかし、身重の女性を目の前にしながら泊めてあげることができなかった宿屋も困ったとしてもおかしくないと思えたのです。そして、自分が保育者として子どもたちとページェントを作っていた時「困っているのはヨセフさんとマリアさんじゃない」と言ってしまっていたことに気付かされたのです。後輩であるたくさんの子どもたちと先生たち姿から、以前あるお笑い芸人が「一番の先輩は後輩」と言っていたことを思い出しました。出来が悪く頼りないのに僕には「園長」という肩書がありますが、子どもたちと過ごす時にはそんな肩書は全く意味をなさない不要なものであり、自分では今なお保育者のままの気持ちであり、一員だと思っています。「教育」とは教え育てるものでもなく、恐がらせ強制させて育てる「恐育」でも、狂った育ち「狂育」でもなく、共に育つ「共育」であり、協力しながら育つ「協育」であり、そして響き合って育つ「響育」でありたいそう思わされました。
2020年12月03日(木) No.2942 (園長日記)

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