Diary

大切な日、大切なこと


現在の園舎となって初めての卒園記念品としていただいた鳩時計。毎日玄関ホールの柱で時を告げてくれていますが、この鳩時計が大のお気に入りなのが3歳児てんし組のS君。給食の準備のため通りかかる11:30、そしてあっという間に給食を食べ終え、片付けや歯ブラシはそこそこに12:00を知らせるために鳩が出てきたかどうか確認するために職員室へやってきて「ねえ、パッポー出てきた?」とか「まだ出てこない?」と聞いてきます。その都度「もう少ししないと出てこないから、片付けしておいで」とか「さっき出たばかりだからしばらく出てこないよ」と伝えるのですが、ランチルームへ戻ったかと思ったら、すぐさま戻ってきて、同じ問答が繰り返されます。一体なぜ、こんなに鳩時計が気に入ったのかわかりませんが、こんなことを通して数に興味を持ち、理解が深まることがあります。片付けや歯ブラシをしっかりすることを伝えながら、前述の問答を繰り返したいと思います。
 さて、最近、学校が夏休みに入り学生たちが少ない電車は驚くほど空いていてとても快適です。一方、仙台駅などは、夏休みで帰省してきたのか小さな子どもを連れた方々が増えてきていました。そこに、今日から始まった七夕祭りの影響もあるのでしょう、市内中心部は外国人や旅行客と思われる団体、浴衣姿の方々が見られます。七夕期間中は雨が降るというジンクスがありますが、今年は三日間ともお天気に恵まれそうな予報が出ていますので東北の短い夏と祭りを満喫してもらいたいものです。
 ところで、今日は広島に世界で初めて原子爆弾が投下された日です。今朝、園庭で放射線量を計測しているとき、8:15分を迎えたので、近くにいた子どもたちと一緒に広島の方々を思い二度と同じことが起きないように祈りました。74年前の朝、原爆が投下され何気ない日常が一瞬のうちに変えられてしまったという事実。原爆投下と比較するものでもできるものでもありませんが、東日本大震災でも津波と原発事故によって多くの方々の生活が一変させられてしまいました。そこには共通することがあるように思います。それは、戦争や災害、事故、事件などに遭いながら、奇跡的に生き残った人が、家族や友達など大切な人、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して感じる罪悪感「Survivor's guilt」です。山形県出身で仙台一高を卒業した。故井上ひさし氏が原爆をテーマに書いた戯曲「父と暮らせば」はまさにそのことをテーマに書かれています、父、そして大の仲良しの友達を亡くし、生き残った娘が罪悪感を抱えながら生きている。娘(美津江)と父、竹造(亡霊)のこんな会話があります。人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが。そいがおまいに分からんようなら、もうおまいのようなあほたれのばかたれにはたよらん。ほかのだれかを代わりに出してくれいや。とです。この本を読む度、心が打たれ、思いを新たにさせられます。保育園では子どもたちが今日もプール遊びや野菜の収穫、虫探しに夢中になっていましたが、数人の子どもたちに桂の木の落ち葉が綿アメの香りがすることを教えてあげると、最初は疑った様子で本当?言いたげな子どもたちが実際に落ち葉を拾いの意を嗅ぎ「本当だ綿アメみたい」と驚いていましたが、そんな日常が当たり前でないところがあることも考え、感謝して過ごしていきたいものです。
2019年08月06日(火) No.2611 (園長日記)

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