Diary

平和を考える


今朝いつもの時間に大河原駅で電車を降り、いつものように保育園まで歩いていると、駅と保育園のほぼ中間地点にある公園で朝早くからグランドゴルフに精を出すシルバーの方々の姿がありました。おそらく月に何度となく予定が入っているのでしょう。これまでも何度となく楽しそうにプレーする様子を見ていましたが、時々下草が刈られているとは言え、あちこちに草が生え凸凹した地面が露出しボールがまっすぐ転がることなどあり得ないグランドで、中には腰が曲がってきたおじいちゃん・おばあちゃんが上手にクラブを操りボールを転がすのには驚かされます。そんなシルバーの方々を見て思ったことがありました。それは、今朝の河○新○に74年前の明日7月10日激しい雨が仙台の人々に降ったということが書かれていることであり、その雨とは市民約1400人が犠牲になった仙台空襲(焼夷弾)のことでした。ずいぶん昔、叔父がこの新聞に仙台空襲についての思い出を投稿し掲載されたということを聞いたことがあります。その内容はといえば、父の妹弟たちが通っていた当時仙台で唯一(ということは県内で唯一)プールのあった小学校で翌日行われる予定だったプール開きを心待ちにしていたというのに、空襲によってプール開きができなかったのはもちろん、その後も当然のことながらプールに入ることができなかったという悲しい・残念な思い出でした。このような現代では考えられないような時代に生きた方々の苦労を思いながら出勤すると、登園するなり玄関ホールに飾ってある給食のメニューを見た保護者の方と子どもたちが「あれ〜!今日のデザート、メロンだってよ!」「えっ!?本当?」「いいなあ」そんな会話が聞こえてきました。中には、デザートが楽しみでごはんやおかずを大急ぎで食べるなんて子どももいますが、反対にメロンが苦手な子どもたちも結構いるのも事実です。しかし、前述のように戦火の中で生きてきた方々は白いご飯ですら食べることができず、バナナは病気の時に食べられればいい、ましてやメロンなどは高級品で食べることなどできないという家庭が多かったのでしょう。現代のトマトやキュウリ、ニンジンなどは品種改良が重ねられ独特な青臭さがなくなり食べやすくなり、メロンやイチゴなどの果物は甘味が増したこともあり、イチゴなどは潰して砂糖や練乳をかける必要がなくなり、同時にイチゴ用のスプーンも見られなくなったそうです。
 さて、今週は梅雨空が続き気温が上がらないこと、また週末には雨の予報が出ていることもあり、プールを楽しみにしている子どもたちもプールに入ることができない1週間となりそうです。しかし、降る雨が焼夷弾でないことを喜ぶとともに、世界には未だに鉄の雨や塊が降っているところがあることを忘れることなく平和な世界が訪れること、前述のおじいちゃん・おばあちゃんがいつまでもお元気でグランドゴルフを楽しんでくれることを願うものです。
2019年07月09日(火) No.2590 (園長日記)

No. PASS