Diary

経験したからこそ


西日本を中心とした豪雨により広島や愛媛など広い範囲に被害がおよび、大勢の死者と安否不明者が出ています。土曜日、ニュースを見ていると広島県竹原市で砂崩れが発生し三ヵ所で民家に流入し4人と連絡が取れていないというのです。竹原市と言えば、懇意にさせて戴いているI先生のご自宅と幼稚園があるところ。そこで心配になり早速携帯電話に連絡してみたところ呼び出しはするもののつながりません。まさかと不安がよぎったのですが、電話に出る余裕もないのだろうと判断しメールを送ろうと思っていた矢先、無事を知らせるいつもに増して元気な声の折り返しの電話が入り胸をなで下ろすことになりました。同様に高知県内でも雨が降っているというので昨年11月、東日本大震災で津波被害を受けた地域をご案内させていただいた高知の先生方のことが心配になりご連絡を差し上げたところ、皆さん被害もなく無事であることを知りホッとしました。しかし、愛する家族や大切な家などを失うといった被害を受けた方々のことを思うと胸が痛み、何もしてあげることのできない自分に歯がゆさを感じます。地球上にある水は一定で増えることも減ることもありませんが、砂漠のように水がないところや干ばつに困っているところがあるかと思えば今回のように大雨で大変な思いをしている方々がいるという矛盾があります。それが自然界の姿なのでしょうが、これ以上被害が広がらないように祈り願うものです。
 さて、今日は数週間ぶりに礼拝で子どもたちに聖書のお話をしました。大人でも理解するのが難しい旧約聖書(出エジプト記)のお話で不安がありましたが、僕が留守中に教会のM先生が分かりやすく伝えてくださっていたこと、また担任の先生たちもM先生の話をふり返りながら聖書の箇所とぴったりの讃美歌を歌うなどしてくれていたこともあり、子どもたちがこれまでの内容をしっかりと覚えていて静かに聞いてくれました。その中で、先日ドーハ空港で乗り継ぎをしてプラハ(チェコ)に出かけた際、飛行機から見えた砂漠の様子や飛行機を降りバスに乗り換え空港へ移動する時、夜中なのにサウナのような暑さだったことを子どもたちに伝えながら、エジプトからイスラエルを目指し必死に逃げた人々、クリスマスの時、砂漠を越えて馬小屋を訪ねた博士たち(賢者)の想いや信仰を考えさせられました。そんなことからも、先日中東を経由して出かけたことは良い経験になったことを感じました。
2018年07月09日(月) No.2345 (園長日記)

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