Diary

これぞプロ


100歳を過ぎても現役で医師を続け、各地で講演するなどしていた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが呼吸不全によって105歳で死去したというニュースが伝えられました。夕刊やテレビではその死を悼み、1970年に起きた日航機「よど号」ハイジャック事件に遭遇し人質になった経験や1995年に起きた地下鉄サリン事件では多数の被害者を受け入れ、治療の陣頭指揮に当たったことなど先生の足跡を伝えています。明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生き、戦争という忌まわしい経験し、100歳を超えても元気な方はたくさんおられますが、日野原先生のように大変な事件を経験をしてなお現役で仕事を続けられていたとなるとほんの一握りではないでしょうか。たくさんの方々の為に尽力してきたであろう先生は、自分が亡くなる時には「みんなに『ありがとう』と感謝して亡くなりたい」と語っていたようです。こんな風に生きることができたのは家族の支えと節制した生活があったのでしょう。僕はまだ先生の半分も生きていませんし、人のためになるような生き方となると半分どころか一割もできていないでしょう。医師ではありませんが僕も「先生」と呼ばれる立場です。日野原先生の死を伝えるニュースからプロとは何か今一度考えさせられました。ご冥福をお祈りいたします。
2017年07月18日(火) No.2105 (園長日記)

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