Diary

本当にあったんだ


今日は宮城県保育協議会の仕事で丸森町と白石市の保育所(園)に東日本大震災後の保育についてインタビューに行って来ました。宮城県内の町・市と言えど、どちらも福島県と隣接する地域ということもあり東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故による放射能被害がありました。にも関わらず宮城県というだけで線引きされ、福島県にはあった補償や賠償が全くないなど大きな隔たりがある中、除染作業など子どもたちのことを考え本当に大変な思いをして保育をしていたことを思い知らされることとなりました。特にどちらもニホンカモシカやイノシシ、ニホンザルがやってくるような自然豊かな環境にある施設だというのに、原発事故後1年半ぐらいは外遊びを制限せざるを得なくなり、畑での野菜の栽培も一切できなくなるなど地の利を生かした保育が狂わされてしまったというのです。先日出かけた県北の沿岸部の施設でも保育を変えざるを得なかったことを感じたように、福島県に限らず、震災から6年を迎えようとしている今でもまだまだ困難の中にある施設があることを伝え続けなければならないと思いました。
 さて、今日、出かけた丸森町の保育所は町の中心部から30分ぐらい走った「へ○大○」で有名な地域にあり、そこに行くには待避所がなければすれ違うことが困難な道があることを主任のY先生や栄養士のY先生などに聞いていたのですが、その話は大袈裟ではなく片側は崖の下に川が流れ、右側には崖が迫り運転免許を取得した時と免許の更新の際にもらう本でしか見ることのない、「本当にあったんだ」というような落石注意の道路標識や「イノシシに注意してください」とか「大雨の時には川の氾濫に注意してください」という看板があることに驚きました。ところが、その丸森町の保育所から白石市の保育園に向かう途中、地域ならではの昼食を取ろうと思っていたのですが、ナビに従い走った道は先ほど走った川沿いの道よりも狭く待避所もないため、もし対向車が来たならばどちらかが曲がりくねった道をず〜と戻らなければならない道路標識もほとんどなような峠越えの山道。そんなこともあり当然のことながら食事をするようなお店などあるはずもなく昼食はお預けとなりました・・・。しかし、仙台市内では決して見ることができない豊かな自然に触れられたこと、そして、○○年前、小学校6年生の時、創立記念の休みの日にクラスの友達数人で電車を乗り継ぎ虫探しをしに出かけた場所に出会い、田んぼに落ちたFのこと、みんなでふざけて撮った写真のことなど、その時の情景が走馬灯のように蘇りました。現代の子どもたちならばOKが出ないようなこの丸森まで出かけての虫探し、今思えば、映画「スタンド・バイ・ミー」みたいで、本当にいい思い出です。
2017年02月17日(金) No.2003 (園長日記)

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