Diary

本当の学びとは?


皆さんご存知のように文部科学省は14日、小学校の次期学習指導要領の改定案を公表しました。そこにはグローバルな社会に対応するため、小学校中学年から多様な表現に触れるため英語教育の早期化が盛り込まれました。また、幼稚園教育要領の改定案の中には小学校との接続を意識した「評価の実施」(評価といっても他の幼児との比較や達成度をみるものではないと明記されているようです。)や文化や伝統に親しむ例として唱歌やわらべ歌と並び「国歌」を示しました。その一方で幼児期の終わりまでに育ってほしい姿として「道徳性・規範意識の芽生え」「言葉による伝え合い」などの10項目を挙げたそうです。
 そこで、疑問や心配に思うことがあります。しっかりとした日本語を使えていない僕が偉そうなことは言えませんが、近年様々な表現が外来語に変わり、きれいな日本語が失われているように感じているのです。それは小学生だけの問題ではなく、成人してから随分年齢を重ねた大人でさえも難しい日本語で話しをしているわけでもないのに会話が繋がらないなんてこともよくあること。そんな大人がいるにもかかわらず小学校3年生から母国語以外に英語に触れるというのです。本当にそれが子どもたちの学びになるのでしょうか?今日、保育園の園庭では5歳児が長縄跳びをしているところに3歳児H組の子どもたちが混ぜてもらい跳び方を教えてもらう姿と先生たちの笑い声が響き、別なところでは同じように5歳児の子どもたちのドッジボールに4歳児H組のM君が混ぜてもらいながら遊ぶ様子がありました。そうかと思えば2歳児クラスの子どもたちは春に向けてなのでしょう、先生たちと一緒に畑の手入れをしていました。そんな中で子どもたちは自分より小さい子どもたちへの思いやりや生きていくための知恵や自然の不思議さを学んでいくのです。小学校と乳幼児期の学びは全く違い、前述の幼稚園教育要領のように「道徳性・規範意識の芽生え」「言葉による伝え合い」などの心の育ち・表現といったテストをして点数をつけられるようなものではないのです。英語もドイツ語もフランス語も学んだのに、どの言葉も話せない僕はたくさんの外国語ができればなんといいだろうと常々思っています。ただ、まさかとは思いますが、遊び(五感)を通して様々なことを学んでいく乳幼児期に小学校のような英語教育が求められることがないことを願わずにはいられません。
そうそう、今日は春を思わせるような暖かさになるといっていましたが、朝は結構な寒さで先生たちと「今日暖かくなるっていってたけど寒いよね」と話をしていたのですが、そんな寒さの中でも5歳児M組のN君だけはTシャツ姿で遊び始めました。その姿にみんながびっくりしていましたがN君はまさに五感を通して寒さ(気温)を感じて(学んで)いたのかもしれません。
2017年02月16日(木) No.2002 (園長日記)

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