Diary

木育


昨日の地元新聞(河北新報夕刊)に、以下のような興味深い記事が掲載されていました。

きょうから秋の火災予防週間。東京のイベント会場で先日あった木製オブジェの火災では、5歳の男児の命が失われた。予期せぬ場所で火災が起こると、人の命はどんなにもろいものかを思い知る。 
 ジャングルジムのようなオブジェの枠に絡めた木くずは、かんなくずを丸めたものだろう。製作者側が設置した白熱電球の熱で、これに火が付いたらしい。
 子どものころ、大工さんが削る紙のように薄いかんなくずや木の切れ端をもらって遊んだ。その後もごみにせず、ストーブや風呂のたきつけに使い始末した。
 加工に適す反面、燃えやすいのが木の特性。廃棄物を燃やす野焼きが規制され、火をたく機会が少なくなった分、日常、火の怖さに無頓着になっていないだろうか。年に1度、仙台の「どんと祭」で立ち上る御神火を見るたびに思う。
 子どもたちに木のぬくもりを伝える「木育」が広がっている。かんなくずのプールで遊び、優しい肌触りや香りに包まれる体験は、豊かな自然を知るきっかけになる。それとともに、火が付くとどうなるか親子で学ぶことも大切だ。
とです。
 近年オール電化の住宅が増え、保育園に通う子どもたちの中にも家庭で火(炎)を見たり、立ち上る煙を見たり嗅いだりすることがなく育っている子どもたちが増えていることでしょう。そんな子どもたちがそのまま大人になるのではなく火の怖さや有難さ、煙の怖さや臭いを実体験できるようにという思いや願いも込め建設時にランチルームに暖炉(薪ストーブ)を備えました。また、子どもたちは日々の保育の中で先生たちと近隣へ焚き付け用の杉の葉や小枝を拾い集めに出かけたり、かまどを使って園庭でご飯を炊いたり、焼き芋をしたりしています。また、暖炉に欠かせない薪を作るためチェーンソーで丸太などを切った際に出たおが屑がままごとに使われたり、園庭に落ちている枝が装飾物に変わったり・・・。今日も5歳児が来週の焼き芋のために複数の大きなごみ袋いっぱいに落ち葉を拾い集めていましたが、そんなことを考えると我が園の日々の保育そのものが「木育」であり、子どもたちは神様が創造された豊かな自然に触れていることを感じます。そして、手前みそですが、暖炉(薪ストーブ)を設置したことは間違っていなかったと思いました。
 さて、明日は合同避難訓練が計画されています。突然やってくる自然災害や非常事態に備え、火の怖さなどをみんなで再確認したいと思います。
2016年11月10日(木) No.1936 (園長日記)

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