Diary

懸命さ


毎日11時を過ぎた頃に0歳児クラスの子どもたちから給食が提供され、1歳児・2歳児クラスの子どもたちといった順番に各クラスで給食を食べ始めます。その後、3〜5歳児クラスの子どもたちがランチルームで給食を食べるのですが、準備ができるまで担任の先生たちが弾くピアノに合わせて季節にあった歌やさんびかを歌い食前のお祈りをして「いただきます」をします。ところが、保育士や幼稚園教諭の資格を持っているからといって全ての先生たちがピアノが得意かといえばそうではなく、僕にいたってはピアノを弾くことが苦手(弾けない)なだけでなく楽譜を見ただけで負担に感じてしまいます。そんな僕が偉そうなことを言える立場ではありませんが、3歳児H組のS先生もピアノが苦手で、園行事でピアノの担当になると時間をかけて練習し当日は緊張しながら伴奏する姿が見られました。そんなS先生ですが、これまでもクラスでピアノ(電子オルガン)を弾いていたものの、今年度はランチルームで他のクラスの子どもや先生たちがいる中で伴奏することが求められるため、間違いなくこれまでとは比較にならないほど緊張しているという心情と必死さが今日の給食前の伴奏から伝わってきました。ピアノに限らず誰でも人前で苦手なことをすることは苦痛であり、できることなら避けたいことではないでしょうか。特に後輩が出来てきたS先生にとってはピアノが苦手であることで“笑われるのでは”とか“園長に何か言われるのでは”という心配もあるのかもしれませんが、S先生が日々懸命に練習(努力)していることが同僚にも伝わっていると信じていますし、僕はそんな努力を評価したく「S先生、さっきのピアノ、頑張ってることが伝わってきて、嬉しいよ!」と声をかけました。このような努力がいずれ、伴奏のスピードが適正になり、伴奏コードが分散されるといったことにつながることでしょう。ピアニストのように上手にピアノが弾けることを否定することではありませんが、ピアノが上手だからといって必ずしも素敵な保育者かといえば、そうでないことは言うまでもありません。保育者に問われているのは、保育において何事も子どもたちのために懸命になっているかどうかなのだと思います。僕も子どもたちのために懸命にならなければ、そんなことを今日のS先生の姿から再確認・再認識させてもらいました。
2016年04月12日(火) No.1788 (園長日記)

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