Diary

成人式に思うこと


昨日は成人の日でしたが、国内の多くの地域では便宜上、一昨日に式典を行ったようです。しかし、今年も沖縄や北九州、横浜などでは一部の成人が喜びの日(式)を台無しにするような行動をとる様子がテレビニュース(報道)で伝えられるました。一方、東日本大震災の被災地で行われた成人式の様子は正反対で津波で犠牲になった同級生の遺影を胸に臨むような姿も見られるなど、同じ20歳とは思えないほどしっかりとした成人式で、その違い(差に)に複雑な思いを抱きました。勝手な想像ですが20年前、阪神淡路大震災で甚大な被害や犠牲者が出た神戸などの成人式では震災の年には赤ちゃんだった自分たちが生きていることに感謝するとともに、生きたくても生きることができなかった赤ちゃんがいたことを思い、厳粛な式典が行われたことでしょう。思えば、大東亜戦争末期、終戦を迎える頃に特攻隊員として飛び立ち、戦陣に散ったパイロットの方々も15・16歳、そして昔の成人式である元服は、男子が成人になったことを示す儀式であり、11〜16歳の間に行われ、髪を結い、服を改めたり、江戸時代、結婚した女性が歯を黒く染め、丸まげを結い、眉をそったりしたと言います。そう考えると全員とは言いませんが、現代の20歳がいかに幼いか痛切に感じます。それでも選挙権は18歳へ引き下げられる…。これで本当に大丈夫なのでしょうか。
 もちろん自分が20歳の時も決して褒められるようなところはなく、それどころか反省しなければならないことばかりでした。だからこそ、これから成人を迎える若者には、20歳になった時(成人式)には是非産んでくれた母、育ててくれた家族に感謝すること、そして大人になったという自覚と責任を認識すること、そして生きていたくとも生きることができなかった命があったことを考える式典として成人式に臨んでほしいと思います。そのためには各自治体で内容を再検討する必要な気がします。そう考えるのは僕だけかも知れませんが…。
2016年01月12日(火) No.1723 (園長日記)

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