Diary

生きててよかった


震災から間もなく4年7か月、津波被害を受けた沿岸部では防潮堤の建設、放射能被害を受けた地域では除染が進み避難先の仮設住宅から災害公営住宅等への移転が進むなど、一見復興が進んだように感じられます。しかし、被災地の実態はといえば多くの方が心に傷を抱え苦しみながら生活しています。特に高齢者の方は代々引き継いだ住み慣れた地域(家)を離れて生活せざるを得なくなり、これまで畑仕事をしたり、近所の方々でお茶を飲むなどということができなくなり、年月をかけて形成されたコミュニティーが崩壊してしまいました。そのため体を動かすことが減り身体機能が低下する“生活不活発病”になってしまったり、一人寂しく食事をする“孤食”になってしまったりしています。
 そんな被災地の高齢者の方々の栄養と食、子どもたちとのふれあいを通し高齢者の役割・生きがい等を創出するために、復興庁と日本栄養士会、宮城県栄養士会主催で経費を負担する「ほっこり・ふれあい食事プロジェクト」が平成26年度から実施されているのですが、今年度、そのプロジェクトの実施拠点として参加したいと思っています。その内容は単に被災地の方々をお招きし給食を食べて頂くのではなく、これまでの人生経験を生かして頂くことによって「生きててよかった」とか「自分たちが必要とされている」ということを再認識して頂くこと、そして、子どもたちにはお年寄りから様々なことを学んでもらいたいと思っているのです。具体的には亘理町荒浜地区で被災した方々にいらして頂き、子どもたち(人数的に5歳児だけになるかと)に荒浜名物の「はらこ飯」と「あら汁」を作る様子を見せて頂き、出来上がった「はらこ飯」と「あら汁」を一緒に食べてもらいたいのです。そのため今日、朝から亘理町役場へ出向き、ご協力頂けないか相談とお願いをしてきました。実現できるかどうかはこれからですが、もしうまくいけば、次からは経費を負担して頂くことなく、羊の毛刈りや味噌作りのように保育園の恒例行事にしたいと思っています。
 被災地ではこんな実態があるにもかかわらず、残念ながら研修や学会で県外(被災地以外)の地域に出かけると震災に関する新聞報道が全くと言っていいほど無いことに気づかされます。そのため、被災地以外の多くの方々は被災地はすっかり復興し、震災前の生活をしていると感じているような気がします。亘理町役場を後にして保育園に戻る時、2年ぶりに荒浜漁港まで車を走らせたのですが、2年前に行った時から益々変わってしまい、昔の雰囲気はほとんどなく、どこがどこやら分からなくなっていました。その中で当時を思い出させる場所は、これまで何度も見ていた友達の家の近所にあったお地蔵さん。ただ、これまで知らなかったのはそのお地蔵さんが“波切地蔵”という名前だったということ。そしてそのお地蔵さんを基準に西と東で建物の建築の許可が下りる・下りないが判断されるのだと・・・。そんなことをお聞きし「波切」というお地蔵さんの名前の意味が理解できました。
2015年10月08日(木) No.1655 (園長日記)

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