Diary

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明日はいよいよ卒園式、5歳児の子どもと担任の先生たちはこの日を迎えるために様々な準備や練習を重ねて来てくれました。今日はその卒園式のため、司会やピアノ弾奏を担当してくれる先生にも参加してもらい最終リハーサルを行いました。昨日までと違い椅子が並び花が飾られたホールの雰囲気にこれまで以上に緊張した様子の子どもたちでしたが、約1時間しっかりと集中できるようになった姿に改めて成長を感じることが出来ました。
 さて、この卒園式ですが、どのような構成にするか前年度の卒園式の反省などを職員会議でしっかりと話し合い、クリスマス礼拝のページェント同様、子どもたちと話し合い、また、子どもたちの成長をふり返りながら担任を中心にプログラムを構成していきます。そのため、毎年必ずどこかが違っているのですが、それでも、その年々の子どもたち(クラスカラー)が感じられるのが不思議です。一方、どの年も変わらないこと、それは、担任の先生たちだけでなく“職員みんなで子どもたちの門出をお祝いしよう”という気持ち。そして、何といってもこれまで守り導いてくださった、神さまへの感謝に溢れていることでしょう。それを言い換えれば、昨年の反省は「変えなければならないこと」であり、子どもたちの門出を祝福することと神様への感謝は「変えてはいけないこと」になります。それは、卒園式だけでなく、日常の普段の保育でも「変えなければならないこと」と「変えてはいけないこと」があるように思えます!
 例えば、今朝のように雨が降っていると子どもたちは保育室で過ごし誰一人として園庭に子どもの姿は見られません。しかし、晴れた日には感じることが出来ないことがたくさんあるのです。放射線量を計測するためには、晴れても曇っても雨でも雪でも風が吹いても外に出なければならず、今日もいつものように園庭で計測していると二階のバルコニーから何人かの子どもたちが園の入り口近くで起きた事故の処理のためにやって来たパトカーに気付き「園長先生、どうしてパトカーが来てるの?」と声を掛けてくれました。ということは、子どもたちはパトカーに興味や関心があったということ。そんな子どもたちの興味・関心を少しでも満足させてあげるのは、大人の役目のはず。しかし、自分たち(保育者や大人)の固定観念や形骸化してしまっていると、それが蔑ろ(ないがしろ)にしてしまっているように感じます。それは、これまでの日本の保育観が起因しているのかも知れません。外(園庭等)には保育室だけではなかなか感じること・気付くことの出来ない自然の変化があることや、遊ぶことから学ぶことがたくさんあることは理解していても、実際の保育を見ていると・・・。ドイツやスウェーデン、デンマークの“森の幼稚園”等ではどんな天候でも必ず一度は屋外に出て過ごすのは当たり前なこと。僕自身、昨年せっかく北欧へ研修に行かせてもらっていても“unchanged”となってしまっているのはもったいないこと!日本、そして我が園の保育を再度「見直したい」「見直さなければならない」ように感じます。
2015年03月19日(木) No.1513 (園長日記)

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