Diary

しあわせ運べるように


20年前、阪神・淡路大震災が発生した時、生まれた街「神戸」が大きな被害を受けた様子を目の当たりにした臼井真氏(神戸市の小学校の音楽教師)が地震発生から約2週間後、たった数十分で作詞・作曲したという歌『しあわせ運べるように』があります。

♪「しあわせ運べるように」 
1.地震にも負けない 強い心をもって
  亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
  傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
  支え合う心と明日への 希望を胸に
  響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
  届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

2.地震にも負けない 強い絆をつくり
  亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
  傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
  やさしい春の光のような 未来を夢み
  響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
  届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように
  届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

この曲は阪神淡路大震災以降、神戸での震災慰霊式典はもちろん、様々なイベントや学校の音楽会や卒業式などでずっと歌い継がれてきました。そして、東日本大震災が発生以降、歌詞の「神戸」という地名の部分を「故郷(ふるさと)」や「ふくしま」、「東北」、地震の部分を「津波」などに換えて歌われるようになりました。ところが、何と、この歌には“続き”があるというのです。震災から10年の年に、神戸市立夢野中学校の生徒たちが、自分たちの思いを込め“3番”を新たに創作し、合唱コンクールで披露したのが以下のような歌詞なのだそうです。

3.地震から10年 苦しい事ものりこえ
  当たり前のようにすぎていく 毎日を大切に生きてゆこう
  これからの神戸を ぼくたちが支えてゆこう
  次はぼくらが支えて行く 神戸のまちを
  響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
  届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように
  届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

 さて、本日午後2時46分、東日本大震災発生から4年を迎えた時刻に会わせ、大河原町役場のサイレンが鳴り響きました。その時間、いつもならば子どもたちはお昼寝の真っ最中ですが、今日は、どのクラスもその時間に避難訓練を行ったこともあり、園庭やバルコニーに避難した子どもたちは、強い風が吹く寒空の元、サイレンに合わせ目をつぶりお祈りしていました。東日本大震災から10年経ったとき、来週卒園式を迎え、小学生になる子どもたちは中学生になっているはずです。その時、この3番の歌詞のような思いを抱いているでしょうか?「神戸」の歌詞の部分を「故郷(ふるさと)」や「ふくしま」、「東北」に換え歌えるように育っていてくれるでしょうか?
 僕自身、忙しさにかまけて行っていなかった、仙台市沿岸部(これまで定点で写真を撮り続けていた)に足を運んでみなければ…。
2015年03月11日(水) No.1507 (園長日記)

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