Diary

そりゃそうだよね〜!!


何故なのか、ある一定の子どもたちが僕の薪割りや薪運び(運び終えた後のリヤカーに乗車できるからなのかも知れませんが)に興味があるらしく、今朝も4歳児A組のR君とY君が「ねえ、園長先生、今日も“木”運ぶんでしょ?僕たちも一緒にしたいんだけど・・・?!」と話しかけてきました。本当ならば薪割りや薪運びの前にやりたいことがあったのですが、出来る限り子どもたちが“やりたい”という気持ちの時に取り組むことが保育の鉄則と考え、「OK!じゃあ、乾いているのから運んでもらうの手伝ってちょうだい」と返事をし、早速園庭にリヤカーを運び込み、子どもたちの遊具には松の木の皮を載せ、リヤカーには薪を積み込みランチルームの北側まで運び、積み重ねる手伝ってもらうことにしました。2人は顔を見合わせながら「やっぱり薪運び楽しいね!」と話したかと思うと、今度は「園長先生、M先生に僕たち園長先生のお手伝いしたこと教えてね」と催促するのです。子どもたち2人とはいえ、僕にとって大きな戦力となるため、薪を下ろした後はご褒美代わりにリヤカーに乗せ園庭に戻り、再度薪を積み込もうとしたとき、昨日から明日まで職場体験に来てくれているS農林高等学校の女子学生が来たのを見つけました。その途端、またしても顔を見合わせ「あっ!今日もお姉さんたち来たんだね!」と言ったかと思ったら「園長先生、やっぱりもうやめる」と捨てぜりふを残し、大急ぎで彼女たちのところへまっしぐらに走って行くではありませんか(-_-)。そんな彼らの正直な姿に笑ってしまいましたが、考えてみれば、職員室に行けば嫌でも(いつでも)顔を見ることが出来る風変わりなおじさんと一緒に薪運びをするより、期間限定で一緒に遊んでくれる優しいお姉さんといることは絶対に楽しいでしょうし、これは男の子だからということでなく、誰でも彼らと同じ行動をとることでしょう。
 さて、前述の「M先生に僕たち園長先生のお手伝いしたこと教えてね」の言葉からも子どもたちは担任のことが大好きなことが(時に叱られることがあっても)伝わってきます。その一方、ケンカや物の貸し借りが上手くいかない時に「○○先生に言うからね」と言っている姿から、如何に先生が絶対的な(怖い!?)存在かも伝わってきます。こんな風に大人に判断をしてもらおうとする子どもたちを見かけると、ガキ大将が中心となって遊んでいた時代には大人に判断をしてもらうのではなく、それどころか、子どもたち同士判断したり、自分より大きな存在(ガキ大将)に判断を委ねたりしながら、大人に叱られるようなことをこっそりとしたことを思わされます。残念なことに、現代の日本では時代の変化と共に本来子どもが持っているはずの力が奪われてしまい、欧米の子どもたちと違い、自己判断や自己決定が出来ず、大人に指示を仰がなければ次の行動をとることが出来なくなってしまったように感じてなりません。しかし、そのことに嘆くのではなく、子どもたちが何をする時も主体的に関わり、自己判断、自己決断できるようになるべく関わって行きたいものです。そのために、先ずは先生たちが自己判断・自己決定できるようにならなければならないのでしょうが・・・。
2015年01月15日(木) No.1464 (園長日記)

No. PASS