Diary

小言幸兵衛


数日前、貸していたことなど、すっかり忘れていた「藍色の便箋」という本が某先生から返ってきました。筆者は「氷点」「塩狩峠」「銃口」などで有名な三浦綾子氏。何年前に読んだかすら、忘れてしまうほど随分前に読んだ本だったので、当然どんな内容だったかなど忘れてしまっていたので読み直してみました。すると、案の定、最低一度は読んでいるはずなのにほとんどの内容を覚えておらず、全く新しい本をよんでいる錯覚になるほど…。しかも、前述のような小説とは違い、手記ということもあり、読むのがとても楽(小説を読むのが大変というわけではなく)。そんな手記の「注意する・注意を受ける」という題の中で、こんなことが書かれていました。注意を受けたことを根に持って、いつまでもこだわりつづける人もいます。これが重なって、上司に対する不満になる。また、夫婦にせよ、親子にせよ、友人にせよ、先生と生徒にせよ、労使関係にせよ、その人たちの本当の顔が現れるのは、ほめられた時ではなく、たったひとこと注意された時ではないかと思います。と…。そして、ふだん、どんなに仲のよい同僚に見えても、夫婦に見えても、一旦その人を注意してみると、相手の自分に対する気持ちがわかります。心から尊敬し、深く愛しているのなら、その受けた注意に、素直に耳を傾けることが出来るのではないでしょうか。とです。
 正直、僕はまさに“小言幸兵衛”で、会議の度に(会議以外でも!?)本当に細かいことをしょっちゅう注意(ダメだし)をしているので、多くの先生(職員)が不満をお持ちのことと思います。もちろん、僕も出来ることなら注意などしたいはずはなく、反対に、注意される側も注意など受けたくはないはずです。しかし、その注意が子どもたちの成長にとって必要なこと、或いは、先生たちのステップアップ(保育の質の向上)につながると思うことであれば、今後も変わることなく「小言幸兵衛」であり続けたい・あり続けることと思います。ただ、本音を言えば、注意(ダメだし)をするということは自分の言動もしっかりしておかなければならないため(実態は自分のことは棚に上げてダメだしをすることが多いのですが)とても大変で匙を投げたくなったことなど数え切れません。
 叶うはずはありませんが、もし、三浦綾子さんが存命だったなら、この僕の悩みにどのような手記を書いてくれたでしょうか…。
2013年12月10日(火) No.1192 (園長日記)

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