Diary
San Francisco、京都、船橋
今朝も仙台をいつも通りに出発する電車に乗り大河原駅に到着したのですが、目の前に広がる風景は仙台とは全く違い、一面霧に包まれ、まさに“霧の町”と化しているのです。時々、とんとんの丘から有り難くない香り(匂い)が漂い、朝から町中がとんでもない(豚でもない)匂いになっていることがありますが、それに比べれば幻想的でいいのでしょう。おそらく、多くの子どもたちは未だ夢の中だったり、朝の支度に追われ、霧に包まれた幻想的な様子を見ることはなかったかと思いますが、人工的に作りだすことのできない自然の力に触れることができました。贅沢を言えば、霧の大河原ではなく、San Franciscoで霧に包まれたゴールデンゲートブリッジを見てみたいものです。
さて、話は一転しますが、現在NHK大河ドラマで放送されている「八重の桜」を見ていて不思議に思うことがあります。それは、新島八重が会津を離れ京都で生活するようになっても京都弁ではなく「〜だなし」といった具合に会津の言葉で話していることです。以前、新島八重に関する本を読みましたが、八重の生涯については霧に包まれたように不明な部分もあるとのこと。そんな八重のこと(八重の桜)を書いた原作者は様々な文献を読んだのでしょうが、文献をどう解釈したか、またどのように感じたのかによって、筆者の思いや想像の部分が加えられているのでしょうから、ドラマは現実とは違う部分もたくさんあるのでしょう。
同様に、今月クリスマス親子礼拝で4・5歳児の子どもたちが行うクリスマスの物語、クリスマスページェント(聖誕劇)も聖書をどう読むかによって、おのずと内容が違ってくるのは火を見るよりも明らかです。だからこそ毎年台詞や動きに違いが出るのであり、それが楽しみなのです。さて、今年はどんなページェントを見せてくれるのか今から大いに期待したいと思います。
余談になりますが、イントネーションに違いはあれど、八重がドラマの中で「〜だなし」と話す度に、千葉県船橋市非公認のご当地キャラ、“ふ○っ○ー”を思い出すのは、きっと「僕だけだなっしー」。失礼いたしました…。
2013年12月05日(木)
No.1189
(園長日記)
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