Diary

祈り


キリスト教の幼稚園・保育園では日々の生活の中で必ず行われていることに「お祈り」があります。「祈り」とは、人間の力では如何ともできないようなことにぶつかったときなどに、人間を超える神格化されたものに対して何かの実現を願うことということになるのでしょう。保育園での子どもたちの祈りといえば、お天気のこと(晴れても雨でも)、元気な身体を与えてもらい保育園に来ることができたこと、保育園をお休みした友だちのこと(病気が早くよくなるように)、食べるものを与えてもらっていることetcといった具合にちょっと思い浮かべただけでも沢山の祈りがでてきます。そのほとんどが身近なことであり、いかに生活に根付いているかが感じ取っていただけるかと思いますが、その一方でこのお祈りが単なる形式化、ただ唱えているだけに過ぎなくなってしまっていることを感じとても悔しい思いをすることがあります。
 東日本大震災が起きた時は多くの方々が食料を求め長蛇の列を作りましたが、今ではそんな光景があったことさせ信じられない毎日を送っています。それどころか、調理時間から一定の時間が過ぎてしまえば処分されてしまう食べ物の数々そして食べ物の好き嫌いが多く給食を残してしまうなんてことは日常茶飯事。しかし、戦時中はもちろん、発展途上国では今でも飢えに苦しんでいる方々が大勢いらっしゃいます。そんな方々を思い食前の祈りではお腹が空いていても食べることができない人たちのためにお祈りをしてから食事をしています。ところが、そのようなことを祈りをしながらも自分たちの生活がその祈りとはかけ離れていることもあり、忸怩たる思いになることもしばしば。その原因や責任は最終的に指導的立場の園長である僕に返ってくるのですが、今一度あの震災の日のことや世界中には食べ物がなく生きていたくても命を失う子どもたちがいることを自分たちの日々の生活と比較し、本当の祈りがささげられるようになることを祈り続けたいと思います。
2013年11月06日(水) No.1166 (園長日記)

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