Diary

give up


これからの季節は毎日、落ち葉掃きから仕事が始まるのですが、休み明けの雨の日の朝は数日間落ちたままになっていた濡れた落ち葉がアスファルトに張り付いてしまっているため、同じ作業でもいつもの数倍の時間がかかってしまい、それだけで汗だくになってしまます。そんなこともあり時に「give up」と言ってしまいたくなります。しかし、僕にとって朝の掃除をしながら子どもたちを迎え入れることが仕事のスイッチを入れることになるので、「give up」と弱音を吐くことはスイッチを入れないことになってしまいます。ということは、雨の日に要領よく掃除をする方法を考えなければならないのでしょう。
 さて、最近あまり聞かれなくなりましたが一時期“濡れ落ち葉”という言葉が話題になったことがありましたが、近年は“新型濡れ落ち葉”という言葉があるというのです。それは、定年後の家庭でのことではなく、現役の職場で後輩に 煙たがられる中高年社員のことだというのです。もしかすると、小言の多い僕自身が既にその“新型濡れ落ち葉”の一人なのかも知れません。それでも自分のポリシーをしっかりと持ち、give upすることなく前を見据えて進んで行かなければならないのでしょう。
 話は一変しますが、東日本大震災発生当時、多くの方が「元気に目覚めて家族と言葉を交わして一緒に食事する。いつも目の前にいる人が、そこに居てくれる。なんとありがたいことか(^o^)/」と語っていましたが、こんな日常的なことも決して あたり前の事ではないこと、明日があるのは奇跡であることを伝えて行くためにもgive upなんてできないのだと思わされます。
2013年10月07日(月) No.1142 (園長日記)

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