Diary

刻まれた記憶


子どもたちが言葉や歌を覚えるとき、当然のことながら耳からということになりますが、そのために聞こえたままに話したり歌ったりすることになります。そのため、思わず笑ってしまったり、ドキッとしたり…。今日も4歳児A組のFちゃんが、「♪せっせっせーのよいよいよい!お寺の和尚さんが、かぼちゃの種をまきました。芽が出てふくらんで、花が咲いたら〜」の歌詞で有名な、わらべうたを歌っていたのですが、よ〜く聞いてみると、お寺の和尚さんではなく、お寺のお嬢さんになっているではありませんか!!大人はこのわらべうたをよく知っているので、種を蒔くのは和尚さんだと考えますが、そんなことを知らない子どもの感覚で考えてみると、和尚さんが種を蒔くよりも、お嬢さんが種を蒔き花が咲く方が自然な発想であり、詩的なイメージを持てるように感じました。平成の時代になった今でも、子どもたちの間でこのわらべうたが廃れることなく歌い継がれていることに不思議さと驚きを覚えます。また、A組は先日の保育参観でも相撲がプログラムの中に取り入れられるなど、昔ながらの遊びを伝えてもらっているのでしょうか…。わらべうたを聞いたり、相撲をしたり(見たり)すると何だか心が和むのは、日本人のDNAに何かが刻み込まれているのでしょう。
 さて、刻み込まれたといえば、今朝いつものように、家を出て仙台駅まで歩いて向かっているとき、X橋(昔から仙台にお住いの方はよくご存知であろう橋)の所で見えた朝日が、2年前の同じ時期、震災で動かなくなった電車の代わりに強い向かい風やスギ花粉に悩まされながらも必死に自転車で出勤していた時に岩沼市のたんぼ道で見た朝日と同じように見えたのです。これは自分では何も意識していなかったこと、忘れかけていたことなのに、自転車で走っていた時の寒さ(気温)や春を実感させる鮮やかで眩しい日差し、吹き付ける強い向かい風、スギ花粉による目のかゆみや流れ落ちる鼻水のことまでが蘇ってきたということはあの頃の記憶が確実に刻み込まれているということなのでしょう。
 東日本大震災と聞くと発災した3月11日ばかりに目が行きがちですが、東京電力福島第一原子力発電所原子炉1号機が3月12日、次いで、原子炉3号機が3月14日に水素爆発事故を起こしました。しかしそれで事態は終了したわけではなく、原子炉2号機も3月15日に同様に爆発事故を起こしました。その爆発によって福島がフクシマと称されることになり、今でも多く方が苦しみの中にいることが現実であり、そのことを忘れることなく、そこにもしっかりと目を向けることが重要なのだと思います。
2013年03月15日(金) No.964 (園長日記)

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