Diary

違和感


3月は別れの季節。これまで毎朝同じ電車・同じ車両で通学していた(見かけていた)何人かの高校生の姿が見られなくなりました。それは、先週、県内の多くの公立高校で行われた卒業式で学び舎を巣立っていった3年生が電車に乗っていないことを意味するのだと思います。そのため、朝早い電車とは言えど、より一層混雑がなくなり、どの車両でも座席に空きが見られます。一方、年度当初明らかに1年生とわかった学生たちが、この一年で大人になったと感じられるようになり、これまで上級生に遠慮して座らなかったのであろう席に座り、教科書を開き一生懸命に勉強する様子が見られるようになりました。
 ところで、この電車の始発駅である仙台駅では、明らかに浦安市にある某リゾート施設からたった今帰ってきましたと言わんばかりの数人の女の子のグループが、同じ絵柄の袋を抱え電車に乗って来ます。こちらは、卒業旅行にでも出掛け、夜行バスで戻って来たと言うことを意味しているのでしょう。年齢的なことも関係しているのだと思いますが、このような女の子たちを見ると、何故みんな同じ所へ出掛け、同じようなお土産を抱えているのだろう?と少々違和感を感じます。この姿は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人、金子みすゞ さんの「みんなちがって、みんないい」という詩が評判になっても実際にはまだまだ個性を生かすことが苦手であり、結局は「みんなといっしょだと安心」という日本人を象徴しているように思います。しかし、これからは国際社会の時代、自分の意思や個性を生かすことが日本人(子どもたち)には必要なことなのではないでしょうか。決して和を乱すということではなく…。
2013年03月06日(水) No.956 (園長日記)

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