Diary

ゾッとすること!


3月に入り、間もなく東日本大震災から2年を迎えようとしています。昨夜のNHKスペシャルでは震災当日人々がどのように動いたか?渋滞は何故起きたか?といったことを様々なデータを元に伝えていましたが、その際に映し出された映像や記録を見て、あの地震の凄まじさや津波の恐ろしさを改めて思い知らされました。そして、あの日、自分がどのような行動をとったか、しばらくご協力頂いた家庭保育から、保育園での保育ができるようになるまでどのような苦労があったかを自分の書いた保育日記を読み返すとともに、保育日記には書いていないプライベートなことを振り返ってみました。
 地震翌日、有り難いことに理事長が車で仙台まで送って下さったお陰で自宅に戻ることができました。幸いなことに、自宅はその日の夕方に停電が解消されたため、前日知らなかったあまりにもむごい現実や被害状況、様々な情報をテレビから入手する事ができるようになりました。また、当然パソコンも使えるようになったので保育再開を望んでおられる保護者の方々に何とか情報を伝えたいという気持ち、大きな被害がなかった者としての使命感から、保育日記を書くこと(記録を残すこと)が出来たのだと思います。
 さて、そんな日記を改めて読んでみたところ、こんなこと書いたっけ?とか、そうそう、あの時そんなことあったあった!と思い出すものもありました。ただ、必死だったところはあったにせよ、助詞がしっかりと使えていない文章があり何ともお恥ずかしい限りです。もちろん、必死でなくても助詞や接続詞を的確に使えていない日記は多々あると思います。今一度、園長日記、保育日記を読み返してみてください。その酷さにきっとゾッとすること間違いありませんが…。
2013年03月04日(月) No.953 (園長日記)

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