Diary

外れだけど当たり


「外れ・はずれ」という言葉を聞いてどんなイメージを持つでしょうか?「的外れ」「季節外れ」「町外れ」「仲間外れ」「期待はずれ」「桁外れ」「当てが外れる」etc、多くの言葉が何となく否定的であまり良くないイメージを持つように思えます。しかし、それは、何かを考える時に自分勝手な基準を設け、その基準から如何にずれているかということだけで判断・評価してしまうことに要因があるのだと思います。例えば、「あのお店の○○は美味しいよ」という多くの噂(情報)を聞き、そのお店に行ったものの、自分の口に合わなかった場合は「期待外れ」ということになるわけです。ところが、その反対に「あそこのお店はあまり美味しくないよ」といったあまり良い噂(情報)ではなかったのに、自分の口に合う好みの味だった場合(基準以上の良いことが起きた時)には反対の意味で当てが外れたことになるのではないでしょうか?そして今日実際にそんな良い意味での外れがあったのです。それは、4歳児H組のB君とNちゃんが季節外れの麦藁帽子姿で(ババヘラアイス屋さんに扮して)職員室に現れ、自分たちで作ったババヘラアイスをお裾分けしに来てくれたのです。こんな風に季節外れでありながら、僕にとって嬉しい(当たり)出来事でした。
 さて、ある保育に関する研修会で講師の先生が「子どもが丁度良い」という感覚を身につけるためには、丁度良いという感覚の両極を知らなければ分からないとおっしゃっていました。例えば「長・短」「高・低」「重い・軽い」「硬い・柔らかい」「暑いと寒い」「熱いと冷たい」味であれば「濃いと薄い」といった両方の感覚を知っていなければ丁度良いという感覚は分からないということです。何とも理解しやすい表現ですが、複数の人間で何かをする場合、全員の基準や考え方が全て一致することなどなく、だからこそどこかで折り合いを付けたり、同じ価値判断ができるような丁度良い基準が必要になるのでしょう。しかし、頭の中ではそう理解していても、実際の自分の言動を振り返ってみると自分勝手な価値判断・価値基準を設け、それにそぐわなかったり、ずれているように感じたりするとそのほかの事までも全否定してしまうことがあるような気がしてなりません。それは僕の改善しなければならない点であり、丁度良いという感覚を常に意識していかなければならないのだと思います。あ〜難しい。
2013年02月07日(木) No.931 (園長日記)

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