Diary

(@_@)電撃的


野球ファンならずとも有名な日本人メジャーリーガー「イチロー」こと鈴木一朗選手が約11年半所属したシアトルマリナ−ズからニューヨークヤンキースに移籍したというニュースを知ったのは、ゴミを捨てに行く軽トラックの中、お昼のラジオニュースでした。今朝5時台の国営放送のニュースではそんなことは伝えていなかったと思うのでこの移籍という事実は本当に衝撃的でした。(どうやらその後の朝のニュース速報で知っていた職員もいたようですが…)
イチロー選手は「11年半、ファンの方と同じ時間、思いを共有したことを振り返り、自分がマリナーズのユニホームを脱ぐと想像したときに大変さびしい思いになったし、今回の決断は大変難しいものだった。オールスターブレークの間に自分なりに考えて出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降僕がいるべきではないのではないか。また、僕自身環境を変えて刺激を求めたいという強い思いが芽生えた」という言葉を残しましたが、何とも彼らしい発言、人生の選択であり、「僕自身環境を変えて刺激を求めたい、という強い思いが芽生えた」という発言に本物のプロ魂を感じずにはいられませんでした。
 思えば僕が現在の立場になる前は、仙台市内の幼稚園で19年間、一幼稚園教諭として保育現場で子ども達と過ごしていました。そんな幼稚園を辞め保育園という未知なる世界に飛び込むという時、ドイツから幼稚園にボランティアに来ていたドイツ人(彼とは約一年という短期間で親友と言える仲になり、現在もメールのやり取りをしています。)が片言の日本語と流暢な英語と母国語であるドイツ語をミックスして話し掛けてくれて、こんな会話をしました。「幼稚園辞めるんだって?」「うん、ごめんm(__)m。言いたかったけど言えなかった。でも誰に聞いた?」「園長先生!」「で、どう思った?」「とっても寂しい!でも、これがお前のためになるのならば良いことだと思うし、応援する!ドイツでは当たり前のこと!別な幼稚園に行くとなかなか会えなくなるけどずっと友だち」と言ってくれました…(T_T)。この彼の言葉は不安を抱えていた僕の気持ちを励まし、後押しをしてくれた気がします。その後、僕の職場が変わっても、彼がドイツに帰国するまで約束通り連絡を取り合い、一緒に過ごす時間を持ちました。スーパースターイチロー選手と自分の人生を重ね合わせ比較するつもりも比較できるはずもありませんが、一つのチームにずっと留まりプレーするのではなく「僕自身環境を変えて刺激を求めたい、という強い思いが芽生えた」という彼の心の内は何となく分かる気がします。今後僕がどこからか誘いを受けるということは皆無ですが、「井の中の蛙大海を知らず」ということにならないようにイチロー選手のように常に刺激を求め仕事をしたいと思います。イチロー選手の更なる活躍を期待しながら!
2012年07月24日(火) No.761 (園長日記)

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