Diary

交錯


昨日、東日本大震災から一年が過ぎ、国内外で追悼式典や慰霊祭が行われ、この災害で被災された多くの方々に祈りが捧げられました。新聞の紙面には「あの日から〜」という文字が踊り、テレビでも震災に関する特集番組が組まれるのですから否応なしに一年前の地震の記憶が甦って来ました。長く続く激しい揺れ、あまりの出来事に泣くことすら出来ない子ども達の表情、必死に子ども達を守ってくれた職員と保護者、夕方から降り出した雪。電気が失われ安全確認が出来ないため止まって動かない電車。そのため、帰宅することができず避難所で過ごした一晩はとにかく寒く、何度も起こる余震に怯え、発電機の音にかき消されるかのよう響くラジオからは何度も津波による被害のことが繰り返されていましたが、現実のこととして受け入れる・理解することが全く出来ないまま朝を迎えました。
 翌朝、同じように避難していた別な保育園の先生が避難所に届いた、たった1ページの地方紙を「先生どうぞ」と真っ先に渡して下さいましたが、その1ページだけの紙面の一面には沿岸部の津波の様子がカラーで伝えられていて、それを見て「現実だ」と再認識して絶句したことを思い出します。今では新聞のページ数は一年前とは違い、震災前と同じように世界各国の情勢を知ることが出来るようになりました。そして震災後、実際に訪れた福島県沿岸部や中通り、宮城県沿岸部などの様子を映像を交えて伝えていて、復旧・復興が進んでいることが感じられます。ただ、この一年の時間経過をたとえるならば、「もう」と「まだ」という感情が交錯します。特に原発事故による影響と収束は皆目見当がつかず、国は収束宣言しても、実際に原発事故で飛び散った放射性物質セシウム137の半減期は約30年。住み慣れた家があるのに線量が高く帰宅することが出来ない方々。また津波で家や家族を失った方々にとっては何年経っても「まだ、まだ」という感情が現実かと思います。大きな被害を受けなかった自分でさえ、様々な思いや気持ちが複雑に交錯するのですから被災者は大変な思いで一年を迎えたことでしょう。一年は単なる通過点であることを再認識し自分たちに出来ることをして行きたいと思います。
2012年03月12日(月) No.645 (園長日記)

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