Diary
木の気持ち
園舎の移転新築に伴い、建物の邪魔になる桜の枝を専門家の手によってはらってもらいました。春には毎年きれいな花を咲かせ、桜を愛でる人々に喜びを与えるまで大きくなるには、これまで何十年もこの地で育ってきたことでしょう。枝だけとはいえ、その桜を切る作業を見ていて何とも辛い気持ちになりました。工事の都合上、仕方がないとはいえど、それは人間の身勝手な部分であること、言葉を話す事の出来ない“木”はどのように思っているのか考えてしまいました。
数年前、仙台地下鉄東西線の工事が始まる際にも仙台のシンボルとも言える青葉通りの欅を伐採すべきかどうかでもめた事がありましたが、今回は特に自分の事として考えました。作業をして下さった園芸の専門家の方々と話をしましたが、「仕事として割り切っているから出来ることですが、木を切る事は可哀想な気がしますよ」と本音を語って下さいました。僕は、今回切って頂いた枝は極力無駄にする事なく、出来る限り何らかの形で新しい保育園に使ってあげたい(残してあげたい)と思っています。例えば、太い部分は木の曲がりや趣をそのまま生かした園庭のベンチに。細い部分はいい具合に切ったりスライスしたりして、ドイツやスイスの幼稚園で見た車や汽車といった玩具に、そして、桜のチップといえばスモークする時に使う材料ですので、上手く加工できる方法を考えたいと思っています。しかし、そのためには何といっても時間を作ることが必要。でも、それが一番難しそうですな気がします(>_<)。もし、保護者の中に木工が好きだったり、趣味になさっている方がいればご一緒したいものですが…。
2011年11月07日(月)
No.540
(園長日記)
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