Diary

やり残していた事


もう間もなく東日本大震災から半年となります。あの日の午後のことは断片的であっても記憶しているのですが午前中に何をしていたか地震のことですっかり抜けてしまっていました。ところが、今日パソコンに向かい仕事をしている際『ごりらのつぶやき』というフォルダの文字を見つけました。気になりながらも今年度まだ一度も『ごりらのつぶやき(園長便り)』を発行していないことを悔いると共に、昨年度末、発行しようと思い作りかけのまま、地震が起きて発行できなかった事を思い出しました。そして、その作りかけの『ごりらのつぶやき#3』を開き驚いた事は、3月11日の午前中にその#3の作成作業をしていたという事です。自分ではそんな記憶は全くなく、あの日の行動が少し繋がった思いがします。その日の出来事を残すという作業は大変ですが必要な事であることを痛感しました。但し、出来事を記憶として残しておく事には限度があります。幸い、今はパソコンという便利なツールもあるので出来る限り日々の様子等を記録として残したいものです。
記憶しておくことには限度がありますが、反面、忘れようと思っても忘れる事が出来ないのも記憶の特徴でもあるような気がします。特に被災者の方々には半年前の記憶はずっと心と頭の中に残る事と思いますが、一歩ずつでも明るい記憶に入れ変わってくれることを願うばかりです。
 さて、今日の給食に栗ごはんが出たのですが、僕にとって栗ごはんは自分の誕生日に毎年、母が作ってくれたという思い出・記憶があるのです。それこそ現代のようにいつでもどんな食材が手に入れられる時代でなかったけれど、しっかりと栗を茹でる事から料理してくれた母を思い出すことができました。今はさすがに作ってとは言えませんが・・・。
何はともあれ、ごりらのつぶやきを発行できるように努力しなければ。
2011年09月08日(木) No.484 (園長日記)

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