Diary

辛いけれど・・・


来月の親子遠足の際、利用するであろう仙台東部道路(高速道路)は東日本大震災の時、仙台市内に流れ込んだ津波をとめるための堤防の役目を果たし、多くの人命が救われたといいます。しかし反対に東部道路の東と西とで明暗と景観を分けることにもなりました。高校・大学時代、仙台の海はもとより、志津川町(現南三陸町)、石巻、鮎川、亘理町荒浜、岩手県沿岸部、福島県相馬市などでマリンスポーツに明け暮れてていた時期があったので今回の地震・津波により、よく足を運んでいた沿岸部が大きなダメージを受けたという多くの報道、現実を簡単には受け容れられず、勿論足が向かず、自分の目で見る事さえ拒否していました。しかし、遠足の際にバスから初めて被害を見るのではなく実際に自分の目で見ておく必要があると心を決め、今日市内中心部から約10kmの仙台新港方面へ自転車を走らせました。ペダルを漕ぐ事20分位経った頃だったでしょうか、海まではまだ2〜3kmある所で既に懐かしいというか覚えのある磯の匂いがして来たのです。そこからペダルを漕ぐこと数分、街路樹として植えられた桜がまだ咲いているそこには、あの日から50日経った今でも津波が来たという信じられない、目を覆いたくなるような光景が広がっていたのです。どこの電気店に行っても目にする事のないであろう、漁船の集魚灯と思われる変わった電球や根元から抜けた防砂林だったと思われる松、海岸から数km離れているのに船が流れ着き逆さまになっている。また、国産車は勿論、ベ○ツ、ア○デ○、フ○ル○ス○ー○ン、ボ○ボ、シ○レ○といった外国車までもが泥や瓦礫に埋まり、もう走る事が出来ない姿となっていました。その多くの車は津波から逃れようと市内に向っていたのか、はたまた海に向っていたのか分からない状態でした。中にはどうすればこんな形になるのだろうと思うほどひしゃげているものもありました。運送会社の大型トラックまでもがありえない格好で田んぼに流されいる、どんな力が加わるとこうなるのというほどに道路のアスファルトが剥がれている。津波の流れと同じ方向に根元から倒れたコンクリート製の電柱、磯の匂いに混ざった油の匂いというありえない惨状。辛いけれどこれが現実なのだと思わされました。本当ならば海までペダルを漕ぐつもりでしたが、残念なことにというか根性がないというのか海まであと1kmという地点で足も気持ちも前へとは進まず、引き返す事にしました。僕が行ったところはまだまだ被害が小さい場所であり、もっと悲惨な所があるのだと思うと言葉がありません。昨日、衆議院予算委員会の中継をテレビで見ていましたが、その中で宮城県出身のある議員が、首相に東北道の無料化について質問していました。高速を無料化にすることで東北に復興に向けた明かりが差し込むこともあるでしょう。しかし、その議員が「野次馬でもいいから、地震・津波の被災現状を見に来て実情を知って欲しい」といった話をしたのには愕然とするだけでなく、東京にいる議員と地元に住む者との温度差を感じ腹立たしく思いました。野次馬がいたずらに(冷やかしで)被災地に来る事を助長するような議員の発言なんか断じて許せない!そう思いました。親子遠足が現実となった場合、見えるであろう津波被害の現実をバスのカーテンを引き子どもたちに見せずに走るべきか、あえて現実を見せるべきなのか、考えさせられる一日となりました。今日見た地震と津波による被害の現実をしっかりと受け止めに、走る事の出来なくなった車に乗っていた方の命が失われていなかった事をただただ願うとともに、震災で失われた多くの御霊の平安を祈ります。
2011年04月30日(土) No.380 (園長日記)

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