Diary

震災から二週間


未曾有の被害をもたらした地震から二週間が過ぎました。この二週間の間、慌ただしい日々でした。そして正直何をしていたかすら分からないうちに二週間が過ぎた気がします。しかし、その間もいつもと変わらず時間が刻まれ、復興のために多くの人々が必死に働いて下さっています。地方紙には阪神大震災で被害に遭われた多くの方が被災者のために投稿を寄せて下さっています。物的被害がなかった自分でも心を打たれるのですから、大きな被害に遭われた方々にとっては大きな支え・励ましになっていることでしょう。故井上ひさし氏の戯曲の中に「父と暮らせば」という原爆をテーマにした作品があります。その中では生き延びた事に責任を感じ悩んで生きる女性の姿が描かれています。それと同じような気持ちの被災者も大勢いる事でしょう。地震発生時の事を冷静に思い浮かべようと思っても正確には出てきませんが、とても鮮明に思い出される事が一つあります。それは子どもたちを北側園庭に避難させ、余震の続く中、寒さを凌ぐための毛布やマットなどを取りに園舎内に戻った際、洗濯機だけが指示された通りに淡々と動いていたことです。人間や動物であればあんな尋常でない揺れに襲われたらパニックになり、どうして良いか分からなくなるはずです。それに比べて機械は…。指示された通りには動けてもそれ以外のことはしない出来ない。とても冷たく、怖ささえ覚えました。と同時に必死だったとはいえ余震の中、建物の中に入っていた自分の行動に愚かさを覚えます。広島に原爆が投下され町が瓦礫と化してしまった数日後、既にバラックが建ち人々が復興へと歩み出した事実があります。そんな事を思えば大変な苦労や課題はありますが、今回の地震も必ずや復興への道を進む事が出来ると思います。そしてそのために自分たちに何が出来るか考えなければならないのでしょう。明日は一週間遅れた卒園式です。20名の子どもたちが保育園を卒園します。被災し卒園式すら行えない園の事や生きていたいのに命を失ってしまった子どもたちのためにも、一つでも良いから保育園での楽しい想い出を胸に小学校へと進んで行ってくれることを祈ります。
2011年03月25日(金) No.346 (園長日記)

No. PASS