Diary

待ちぼうけ


今日は3歳児クラスのMちゃんと4歳児クラスのY君の誕生会がそれぞれのクラスで行われました。Mちゃんは誕生会に来てくれるおばあちゃんを8時頃から門の所に立ち「おばあちゃん早く来てくれないかなあ〜!」と待っていました。その間、同じクラスのHちゃんが「Mちゃんおめでとう!はいケーキ」と言って砂場で作ったであろう猫じゃらしが4本飾り付けられたふるいに入った砂のケーキを持って来てくれました。Mちゃんは「ありがとう」と言って美味しそうにケーキを食べる真似をした後「ありがとう」とHちゃんにケーキを返し二人は何事もなかったの様に遊び始めました。それまで一時間ほどおばあちゃんを待っていたMちゃんですが、おばあちゃんのことは忘れてしまったのか門を離れてしまいました。そして、その後、直ぐにおばあちゃんがいらして下さったというのも何だか不思議な気がしました。Mちゃんがずっと待っていた姿をおばあちゃんに見て欲しかった反面、こんな風に子どもたち同士で遊べるようになった姿にも気付いて頂きたいし保育とは本当に難しいものです。
 思えば、誕生会を出来るだけ一人ひとりの誕生日に合わせて行うようになって数年。子どもたちは自分の誕生日をこれまで以上に意識し、心待ちにするようになった気がします。そして、自分だけの誕生会を祝ってもらう嬉しさを知っているからこそ、先程のような子どもたち同士の自然な関わりが生まれるのだと思います。そして、保護者の方々には親になった喜びを味わえる誕生会でありたいと思っています。
 さて、今日は第二回目のハープコンサートでした。あいにく僕は今回、素敵な音色を聴くことが出来ませんでしたが、前回のコンサートで教えてもらったハープに付いている穴の数のこと等をしっかり記憶していたりする子どもたちもいたようです。回を重ねハープの音や音楽の楽しさに気付いていってもらいたいと願っています。そんなことを配慮して下さっていたのでしょう。今日のコンサートでは実際にハープに触れさせてもらうことも出来たのだとか。そして一番の驚きは、小さなハープで保育園の先生がメロディーを弾き、それに石塚さんが伴奏を合わせて下さるという凄いことが行われたということ。その姿を子どもたちは真剣に見ていてとのことです。でも、どうやらC先生がメロディーを弾いたというのでどんな演奏だったか僕も聴いて(見て)みたかった。怖いもの見たさでしょうか。

子どもちが午睡を終えようとしているとき、それまで静かだった外にどこからともなく太鼓や笛の祭囃子が近付き、あっという間に保育園の前が賑やかに…。そうです。今日は保育園の近くの大黒天のお祭りで、御輿や獅子舞、天狗が保育園に現れたので子どもたちはおやつどころではなく大騒ぎ!普段勇ましい5歳児の男の子も天狗を見た途端、脱兎のごとく逃げ出したり、3歳児の女の子などは大慌てをし過ぎて足が思うように動かず転んでしまったり…。人間は年齢を問わず驚いたときには誰でもあんな風になることを実感しました。そのお祭りの方々の中に4歳児のI君とお父さんが参加していました。お父さんは勿論、I君は普段の保育園生活以上にイキイキしているのではと思える笑顔で参加していました。
 近年、昔言われたような「地震、雷、火事、親父」など恐れるものがなくなりました。近所のおじさんに叱られることもなくなり、怖いものの存在すらなくなってしまっているように感じます。そんな意味から考えると今日、天狗や獅子舞を見て怖いと思って逃げる子どもたちの姿は、ある意味必要なことなのかも知れません。ただ、保育園での畏敬の念の対象であるのは、あくまでも別な神さまであるのですが。

※おまけ
 既に新聞等でご存知の方も多いと思いますが、今日から三日間、仙台の八木山動物公園は夜9時まで開園していて、夜の動物園見学が出来るのです。普段寝てばかりいる夜行性動物の本来の姿を垣間見ることが出来るかも知れません。でも、子どもたちの体力を考えると夜遅くまでは結構大変でしょうか。
2010年08月19日(木) No.183 (園長日記)

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